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2015年8 月27日 (木曜日)

狛江市で第一次世界大戦のドイツ人捕虜の生活テーマに講演会 : 市民団体が主催

150827horyo03狛江市の市民団体が8月29日に狛江市立中央公民館で、西洋の技術や文化を日本に伝え、日独交流の礎となった約100年前の第一次世界大戦のドイツ人捕虜の生活についての講演会「大正時代、日本に来たドイツ人捕虜たち」を開く。

写真(いずれも藤井寛さん所蔵)=遠足でブラスバンドを演奏する捕虜たち

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大阪捕虜収容所

講演会は、「ハム・ソーセージでドイツと日本を結んだ—ヘルマン・ウォルシュケさんの足跡を辿る会」(通称・ヘンマンさんの会)が主催する。
講師は横浜市在住のフォトジャーナリストで歴史研究家の藤井寛さん。藤井さんは、通信社の契約カメラマンとしてドイツで活動中に、日本で捕虜生活を送った経験を持つテオドール・エアハルト氏の未亡人と知り合い、捕虜時代のアルバムを譲り受けた。これをきっかけに、30年以上にわたって捕虜体験者などを探し出して聞き取り調査を行うなど研究を続けており、同会の活動に協力している。
14時からの講演会では、藤井さんが所有する写真20枚をプロジェクターで映しながら捕虜たちの生活ぶりを紹介する。

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収容所内の演劇活動

藤井さんによると、当時の日本は1911年に批准した国際法「ハーグ陸戦条約」(陸戦ノ法規慣例ニ関スル條約)にのっとり捕虜を人道的に扱っており、 収容所内では学習会、スポーツ、演劇、コンサートなどが盛んに行われ、ベートーベンの第九交響曲の日本初演やサッカーの交流試合なども行われたという。
捕虜の中には、戦後も日本に残り西洋のさまざまな技術は文化を伝えた人もいる。
ヘルマン・ウォルシュケさんはもそうしたひとりで、広島県似島の捕虜収容所に収容され、戦後は日本に残り優れたドイツの食肉加工技術を指導、第二次世界大戦後は狛江に転居してハム・ソーセージの製造工場を建設した。
ヘルマンさんの会は、ヘルマン・ウォルシュケさんの功績に光を当てようと調査・ 研究を続けている。元従業員への聞き取り調査、ヘルマンさんが生活していた似島収容所や同収容所の捕虜が広島市内で開いた技術工芸品展覧会のパンフレットを紹介するなど、研究成果をまとめた報告書を2015年に発行するなど精力的に活動を続けている。
同会では「ドイツ人捕虜たちが、狛江に限らず日本各地に大きな足跡を残し、さまざまな分野で日本の技術や文化、スポーツの発展に貢献したことを知って欲しい」と参加を呼びかけている。

入場は無料。問い合わせは電話03-3489-0222飯田さん。
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2015-08-27 in 02)イベント・催事, 05)歴史, 09)市民活動, a) 狛江市のニュース | Permalink

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