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2014年3 月26日 (水曜日)

本場ドイツのハム・ソーセージの加工技術を伝授:狛江市の市民団体がヘルマン・ウオルシュケさんの波乱の生涯を調査、30日にギャラリートーク

140326hermantenji  01ハム、ソーセージなど本場ドイツの食肉加工技術を日本に伝え、その発展に貢献したドイツ人ヘルマン・ウォルシュケさんの功績に光を当てようと狛江市の市民団体がその波乱に満ちた足跡を調査、貴重な写真や年表をパネルにした展示が狛江市役所と同市元和泉の泉龍寺仏教文庫で行われ、注目を集めている。3月30日には同文庫で関係者によるミニシンポジウムも催される。

写真=狛江市役所の展示パネル

ヘルマンさんは1893年ドイツ・ブランデンブルク州ラウノ ( 現ゼンフテンベルク市 ) に生まれ、第一次世界大戦中にドイツ海軍軍人として出征、中国・青島で捕虜となった。1916 年に日本に移送され大阪や広島の俘虜収容所に収容され、戦後はカール・ヤーン、バン・ホーテン、ローマイヤーなどの他の捕虜とともに日本に残り、優れたドイツの食肉加工技術を日本で指導することにした。食品メーカーなどでハム・ソーセージ部門を担当、日本人女性と結婚した。1934年にはベーブ・ルースが所属していた米国の野球チーム・ヤンキースが来日した際に日米野球大会でホット・ドッグを販売したというエピソードも伝わっている。1947年頃に狛江村(当時)に転居、屠殺場内のハム・ソーセージ工場を借りてハムとソーセージの製造を始め、数年後には村内に自前の工場を建設した。できた製品は都内のデパートなどで販売し、人気を集めた。1963年に上野駅で倒れて死去、墓が泉龍寺に立てられた。
狛江では、多くの人が工場で働いただけでなく、仕事以外にも交流を深めたこともあり、「ヘルマンさん」の名前で親しまれ、いまも彼のことを知っている人が多い。
狛江に大きな足跡を残したヘルマンさんの波乱に満ちた生涯を調べて記録し、その功績にスポットを当てようと、生前交流のあった同市東和泉の飯田吉明さんらが、ヘルマンさんの生誕120年、没後50年にあたる2013年に呼びかけて「ハム・ソーセージでドイツと日本を結んだ—ヘルマン・ウオルシュケさんの足跡を辿る会」(通称・ヘンマンさんの会)を結成。現在24人の会員が関係者などに聞き取りを行うなどの調査研究を行っており、将来は日独交流促進などの活動も行いたいとしている。
今回の催しは、狛江市の市民公益活動事業補助金を受けて催すもので、主にヘルマンさんの狛江時代にスポットを当て、遺族から借りた写真と調査で判明した年表などをパネルにし、3月17日から30日まで泉竜寺仏教文庫で、24日から4月11日まで狛江市役所ロビーで展示している。
30日10時からは、同文庫の講座室で狛江工場時代にハム・ソーセージ作りに携わった次男のヘルマン2世も出席して、当時の様子などを語るミニシンポを開く。参加は無料。
同会では、イベントの参加とともに、狛江の工場やヘルマンさんについての情報提供も呼びかけている。

問い合わせは03-3489-0222飯田さん。

2014-03-26 in 02)イベント・催事, 05)歴史, 09)市民活動, a) 狛江市のニュース, | Permalink

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