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2005年1 月 8日 (土曜日)
長十郎の里帰り:多摩区から川崎区へ市民120人が大八車で苗木運び
川崎を代表するナシ「長十郎」を、生まれ故郷の川崎区大師によみがえせる「長十郎の里帰り」の1日目のイベントが1月8日に行われた。多摩川を拠点に活動する等々力水辺の楽校の会員、多摩川を散歩中の親子などのべ120人が現在の産地の多摩区から大八車に載せた苗木を、寒風の中、多摩川の土手をのぼり旗を手に、かけ声をあげながらでふるさとをめざし、15km道のりを8時間かけて運んだ。
苗木は、大師生まれの長十郎を祖先に多摩区のナシ農家が栽培した3年もので、高さは約2m。運搬は、約100年前に大師から多摩区に運ばれてきた当時を再現しようと、背中に多摩川の「多」の字をあしらった紺色の印ばんてん、編み笠、紺のももひきに地下足袋といういでたちのスタッフを中心に、日本民家園から借りた幅122cm、長さ305cmの大八車を利用し、徒歩で行われた。
イベントを企画した多摩区の俳優中本賢さんが主宰する多摩川クラブ、稲生ロータリークラブ、慈酒の会など約40人のスタッフは、そろいの衣装で多摩区宿河原の二ヶ領せせらぎ館を午前7時に出発。6km先の二子橋からは一般市民も参加、稲生ロータリークラブが豚汁や果物をふるまった。また昼食地点の丸子橋では、「地産地消に取り組む趣旨に協力したい」と川崎市地域女性連絡協議会が、おにぎりや豚汁、お汁粉を用意して寒い中を歩く参加者をねぎらった。丸子橋からガス橋までは、子どもたちも大八車を交替で引き、パレード行進した。一般参加はガス橋で解散し、その後は歩道が狭い一般道を使うため、スタッフがこの日のゴール地点の幸スポーツセンターまで運んだ。参加者は「寒かったが、昔の道具を使ってのんびり歩き楽しかった」などと話していた。
大師地区は、江戸時代から果樹栽培が盛んで「多摩川梨」のブランド名がつけられ、全国的に有名なナシ産地となった立役者「長十郎」のふるさと。工業化が進み、いまはナシの木はなくなったが、明治時代の俳人・正岡子規も川崎大師などを訪れた際、ナシにちなむ俳句を詠んでおり、川崎大師境内には、長十郎発祥の地の石碑もある。発祥の地に長十郎を植えることで、地場産業や川崎らしさを見直し川崎への愛着と誇りを持とうと催された 。
10日には、幸区役所を午前9時に出発、栄町商店街、チネチッタ商店街、川崎銀座街など幸区、川崎区の商店街で長十郎のふるさと帰りをアピールしながら約6キロ先の若宮八幡宮までパレード。午後3時30分から新成人や長十郎の発見者・当麻辰次郎さんの孫などが参加して植樹式を行う。
2005-01-08 in 02)イベント・催事, 07)文化・芸術, 08)経済・農業, 09)市民活動, b) 川崎市のニュース | Permalink
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