« 狛江市長選の立候補予定者招き6月6日に公開討論会 : 狛江青年会議所が主催、市民から質問を募集 | メイン | フロンターレが5月27日にファン感謝デー:選手とサポーターが笑顔で交流楽しむ »

2012年5 月29日 (火曜日)

矢野裕・狛江市長「3つの使命成し遂げた」:5月17日記者会見の引退表明の言葉全文

5月17日午前に狛江市議会応接室で行われた記者会見での矢野裕・狛江市長(65)の引退表明の発言は次の通り。

これまで16年間、市政運営にあたらせいただきましたが、7月6日をもって市長職を退く決意をいたしました。
私は16年前の最初の市長選に臨むにあたって、3つの仕事が使命というふうに考えました。

第1は、前市長のような不祥事を二度と起こさないように、市の体質を根本的に転換をさせていくということです。
これについては、当時の一部の取り巻きの人たちが市政を私物化し、市長などがバカラ賭博に狂い、30億円を超える借金に追われ公務を投げ出した。そうしたことに至るまでの事態を知っていたのは、決して市民や野党の議員ではありませんでした。周囲の職員もそれを食い止めていくような職場の雰囲気では、到底ありませんでした。

この点では「参加と協働」の基本条例を制定したり、あるいは公務日誌をはじめ行政情報の公開を原則としたり、不祥事を起こしにくい仕組み、体質づくりを進めてきました。また職場でも一部の人間だけで動かすのではなく、情報の共有や集団的な意識決定など当たり前ですが、民主的な市役所運営のルールを作り、そこを転換させてまいりました。
2つ目の使命は、なんと言っても清潔公正な政治を確立するということでした。
前市長は贈収賄で2年間の実刑判決を受け、拘留されました。そのほかにも業者との関係、職員の採用、公費の使い方、とかくうわさの絶えない方です。私はそうしたことと決別して、清潔公正な市政を作り上げたと自信を持って言えます。

3つ目は社会的に弱い立場の人々に光を当て、生活に目を向けた予算に切り替えていくことでした。
前市政の前年の予算における土木費の割合が32%にのぼっていました。当時この割合は東京で第1位、全国で、この小さな狛江なのに8番目に高い割合でした。それだけ開発優先で、市民生活がその分置き去りにされてきたと言えます。

しかし、これもご覧いただければおわかりのように、暮らし優先の予算にしっかりと切り替えることができています。
私は使命と考えていた3つの転換を成し遂げることができたと考えています。

また、政策の上でも4期目の出馬の時に、市政の総仕上げをさせてほしいと市民の皆さんに訴えて市長選挙に臨みました。その時マニフェストとして、6つのビジョンというものを掲げました。
そこに59の政策を掲げておりましたけれど、これも現段階で実現したり、あるいは既に着手して進行しているものが全部で約93%です。残りの4、5で、できたものもあるのですが、2つは野党の否決や削除修正でできなかったものですので、ほとんど達成することができました。
言い換えれば、総仕上げとして自分がやらねばならないと思っていた仕事、掲げた事業は、ほぼやりきったという満足感があります。
また役所の中でも、風通しの良さや市民への接し方など、職場風土はかなり改善されてきたと思うし、私自身は職員との一体感の中で仕事を進めることができた。
そういう点では16年前に目指した市政の抜本的な転換は、現時点では果たしたと言い切れると思っています。
なお仮に、私が次の選挙に臨んで5期目を担当することになっても、現段階では、まだご覧のように体力・気力はあるつもりですが、しかし4年後まで年を重ねると、これが続くかという点ではちょっと自信がないところがあります。
いままでは100%以上の力で、市民や職員の支えで、4年間仕事がやりきれてきたわけですが、これを100%の力が今後落ちこんでいくという風に考えたときに、やはりここで4年間市政をさらに担当することよりも、政策に区切りがつき、余力のあるうちに、私の考えている市政をさらに発展させてくれる方にバトンタッチをして、一市民として狛江市政のさらなる発展をサポートしていきたい、このように考えるに至りました。
私は権力にしがみついたり、市政を自分のものと勘違いしたり、そういうことしては決してならないという風に市長に就任してから戒めてまいりました。
3期が終わる時も、後継者の検討を「豊かな狛江を作る市民の会」の方にもお願いしましたが、実際には私の努力不足もあったかとは思いますが、見出せなかった。そのために4期目の出馬要請をされ、私自身も総仕上げとしての仕事が残っていると思い、喜んでそれをお受けしました。
ただ、今回もなかなか後継者が見つからないで、時が推移しました。いろいろ努力したのですが、条件が整わない、決意をしていただけない方もいらっしゃいました。
そういうなかで、相手方陣営が市民から候補者を出せないで、自民党の都連に候補者選定を丸投げして、他市に住んでいて、狛江には全く来たことがないと私は思っていますが、狛江には縁のなかった東京都の天下り幹部の方が、突如、狛江市長選挙に出ることになって、正直なところ、このままこちらで後継者が見つからないまま、彼を第2の天下り先として狛江の市政、市長にさせていいのか、この点を本当に悩みました。皆様方からいろいろ取材をいただいたのですが、その時点では最終的に決断に至りませんでした。
しかしこういう経過の中で、会(編集部注・豊の会)の皆さんに議論をいただいて、そこでここにいる田辺良彦議員が多くの市民、会からの要請にこたえて連休明けに出馬を決意してくれたとうかがい、私も喜んで彼にバトンタッチしたいということで、きょう同席させていただきました。
私はあくまで市長として、選挙での反対派の方々、あるいは政治に関心がない方々を含めて、すべての市民の市長として市政を行うべきと考えていました。また、国政での支持の違い、思想信条の違いがあっても、住み良い狛江を築いていく、その一点で手を携えることができるし、それが大きな力になっている、そのように確信して市政運営に臨んでまいりました。
高橋(編集部注・都彦)後援会幹部、一応いろいろお名前を聞きましたけれども、その中にも実は私を応援してくれてきた方々が入っています。選挙では表向き反対側に立たざるをえけれども、実際にはいろいろな立場、いろいろなやり方で私を応援してくれた方が多数いらっしゃいました。このことを見ても、私のこのまちづくりの方向が、党派を越えて多くの方々に理解していただいた、そういう表れで今回の市長選にきているという風に考えています。
田中良彦さんは、イデオロギーや国政での支持の違いを超えて、住み良い狛江の一点で、まちづくりをするという、私がこだわってきた考えをしっかりと引き継いでくれる人です。
高橋陣営が私に対してもそうでしたが、共産党の市長だというだけで打倒を叫んだりしていますが、思想の違いで打倒を叫び、それを排除するというような考え方では、16年前の昔の狛江の政治に後戻りしかねない、そういう思いを強く感じています。
実際にいま、高橋さんを担いでいる方々を見ると、当時の石井前市長になんらかの関わりを持っている方々、ご縁のある方々が取り巻きでいらっしゃいます。そういうことを考えた時に、自分の16年間の努力を無にさせないためにも、その人々によって抱えられた高橋さんに狛江市政を、また市長職を任せるわけにいかないと私自身強く感じています。
私は、16年の市長生活の間で、与党の議員の立場で、また私の市政のあり方を最もよく理解しながら支えてくれた田辺良彦さんは、実際に役所の中でも田辺さんの存在は職員からも大きく信頼されています。そういう方に市長になっていただければ、市民派市政のさらなる発展を必ず実現できると確信しています。そういう点では私自身、心から田辺良彦さんを次期市長候補として勝利を願い、推薦していきたいと考えています。
先ほどの原点を継承しながら、これまで私のつくってきた基礎の上に、新しく豊かで多彩な第2期市民派市政を確立させ、希望が感じられる、そうした狛江の未来を作っていただきたいと、心からお願いし、私の不出馬の意思表示とさせていただきます。

関連記事:狛江市長選:矢野裕狛江市長が引退、前市議の田辺良彦氏が後継で立候補表明

2012-05-29 in 06)政治, a) 狛江市のニュース, 時事問題 | Permalink

コメント

コメントを投稿