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2009年12 月17日 (木曜日)

川崎フロンターレの関塚監督が無冠の責任理由に辞任

091217sekiduka02 川崎フロンターレが12月16日、関塚隆監督と来シーズンの契約をしないと発表した。クラブ側は、若手育成などの手腕を高く評価して最終節前の11月下旬に契約延長のオファーを出していたが、関塚監督は「タイトルが取れなかったことを真摯に受け止めたい」と固辞、慰留を断念した。現段階での後任は未定。

写真=(上)最後のベンチとなった天皇杯準々決勝の試合前の関塚監督(12月12日、撮影 : 山本真人)(下)ホーム最終戦で大きな声で指示を出す関塚監督(11月28日)

関塚監督はJ2時代の2004年に監督に就任、選手に「勝ちにこだわる」ことを植え付け、1年でJ1昇格を果たした。昇格1年目の2005年は8位、2006年は2位、2007年には初めてACLに出場、ナビスコ杯準優勝、天皇杯4位という好成績をあげた。しかし2008年は、シーズン途中の4月に病気で一時退任。ことしは健康を回復、クラブの強い要請で監督に復帰した。
091217sekiduka01_2 ことしは、悲願の初優勝に向けてリーグ戦、ナビスコ杯、ACLなどすべてのタイトルを狙い、過密日程にもかかわらず終始トップ争いに加わった。しかし、9月30日にACL準々決勝に敗退、その後もリーグ戦、ナビスコ杯ともあと一歩のところまで善戦したが、いずれも準優勝に終わった。
この間、クラブから続投の要請を受けたが、関塚監督は態度を保留。最後の望みを託した天皇杯も準々決勝で敗退し、無冠のまま15日に今シーズンの全日程を終えた。
武田信平社長は「1年でJ1昇格、そして初年度から上位進出をはじめとする継続的な好成績など、近年におけるクラブの躍進は関塚監督なしには考えられない。タイトル獲得の目標は惜しくも届かなかったが、若手の育成と選手層を厚くした手腕は高く評価しており、絶対的な信頼をおいていたので、来季の続投を要請していた。しかし、辞意の意志が固く、残念だが本人の申し出を受理した」とコメントを発表した。

2009-12-17 in b) 川崎市のニュース, スポーツ | Permalink

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