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2005年1 月 7日 (金曜日)
長十郎の里帰り
川崎を代表するナシ「長十郎」を、生まれ故郷の川崎区によみがえらせようと、多摩区在住の俳優中本賢さんらが長十郎の苗木を現在の生産地多摩区から川崎区まで子どもたちとともに大八車で運んで植樹するイベント「長十郎の里帰り」が1月8日と10日に行われ、一緒に参加する市民を募集している。
写真=イベント当日着るはっぴ姿の多摩川クラブの会員ら(左から2人目が中本さん)
この催しを主催するのは「長十郎の里帰り実行委員会」(斎藤文夫実行委員長)。中本さんに加え、砂子の里資料館の斎藤文夫館長、植樹先の若宮八幡宮宮司中村紀美子さん、稲生ロータリークラブ会長の井口武雄さん、川崎市理容組合青年部部長の伊藤賢美さん、慈酒乃会代表の鹿子遠さんが委員になって、準備を進めてきた。
赤ナシ系統の長十郎は、1893年に大師河原の当麻辰次郎の梨園で発見されたと伝えられ、同家の屋号「長十郎」から名付けられ、大正時代に川崎大師境内に記念碑が建立されている。明治中期に活躍した俳人の正岡子規は川崎大師を訪れ、「川崎を 汽車で通るや 梨の花」「川崎や 畠は梨の 帰り道」などの句を詠んだ。
川崎大師一帯は江戸時代から果樹栽培が盛んで、病害虫に強い長十郎は果樹農家から人気を集めた。多摩川に沿って北上、大正時代には関東一になるほどの発展をとげ、「多摩川梨」というブランド名も生まれた。しかし、生まれ故郷の川崎区は工業化が進み、現在、ナシの木は一本もない。
今回のふるさと帰りの発案者・中本さんは、多摩川に住む魚や水生昆虫などを子どもたちに紹介する活動を行う「多摩川クラブ」の代表を務めており、昨年6月に自宅近くのナシ園で、樹齢100年を越す長十郎の木を見つけた。畑の持ち主太田嘉治さんを訪ねて話を聞くと、明治時代に曾祖父が長十郎のうわさを聞き、大師河原付近から分けてもらった木とわかり、感銘を受けたという。
長十郎は現在、他の甘いナシに押されて生産量も減り、交配用の花粉を取るためにナシ畑に1、2本植えられているだけという例が多い。宅地化が進む川崎北部でもナシ園が減っており、中本さんはこのままではナシの木が消えてしまう日が遠くないと感じ、かつての地場産業を残そうと、ナシの木をふるさとへ戻すイベントを思いついた。
イベントは8日と10日に行われ、多摩川の土手や商店街を子どもたちとともに当時を再現するはっぴ姿で大八車を押して歩くことで、長十郎ナシをアピールする。8日は多摩川二子橋からガス橋までの12キロを日本民家園などで借りた大八車を子どもたちが押して運ぶ。10日は、幸区役所から幸区、川崎区の商店街を通って約6キロ先の若宮八幡宮まで運び、発見者の当麻辰次郎さんの孫や新成人とともに午後3時ごろに植樹する。
参加は自由で、8日は午前9時に二子橋下多摩川河川敷集合、10日は午前9時に幸区役所集合。途中からの参加も可能。
問い合わせは電話・FAX044(934)0066多摩川クラブ。
2005-01-07 in 01) 自然・環境, 04)教育・子ども , 05)歴史, 08)経済・農業, b) 川崎市のニュース, b2) 川崎市多摩区, b7) 川崎市川崎区 | Permalink
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