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2012年10 月16日 (火曜日)

狛江の猪方小川塚古墳から市内初の横穴式石室:「狛江百塚」の歴史塗り替える発見、10月21日にも見学会

121016ogawadukakohun02狛江市の古墳で7世紀に造られたとみられる横穴式石室がこのほど見つかり、10月14日に見学会が行われた。昨年11月に同市猪方3-21にある猪方小川塚古墳を宅地造成にともなう緊急発掘したところ掘り出されたもので、同市教育委員会などの関係者は奇跡的な発見を喜ぶとともに、狛江の古墳について再検討を要する大きな発見と話している。同市では急きょ保存のため今年度予算に敷地を買い取る費用を計上して面積約240平方mの土地を買収するとともに、9月から10月にかけて保存のための調査を実施した。今後は遺跡の詳細な調査をまって、保存の方法などを検討することにしている。見学に訪れた市民たちは、切石で組まれた石室を眺めながら古代のロマンに思いをはせていた。

写真は、狛江市内で初めて見つかった猪方小川塚古墳の切石積みの横穴式石室

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古墳を熱心に見つめる見学者
同市はかつて「狛江百塚」と呼ばれたほど多くの古墳があったが、現在ではその多くが失われ、亀塚、兜塚、前原塚、経塚などがそのおもかげを伝えている。
猪方小川塚古墳はこれまで存在自体は知られていたが、古墳の主要部分は失われたと推定されていた。
しかし、宅地造成にともなって盛り上がっていた土を掘ったところ、凝灰岩の切石を積み上げた横穴式石室が市内で初めて見つかり、発掘にあたった調査団を驚かせた。
発掘調査の結果、猪方小川塚塚古墳は、古墳を取り巻く周溝の規模から推定して直径22mほどの円墳で、7世紀に築造されたとみられることがわかった。
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石室から見つかった副葬品の金メッキの青銅製耳環
石室は畳1枚分ほどの広さで、羨道(せんどう)、前室、玄室の3つに分かれており、天井部分と壁の一部は壊れているものの保存状態は良好だという。また、石室の中からは青銅に金メッキを施した耳環(みみわ)や鉄製の矢じりなどの副葬品も見つかった。
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石室から見つかった副葬品の鉄製の矢じり
今回の発見について同市教育委員会では、(1)これまで市内で古墳が造られたのは5世紀中頃から6世紀中頃までの約100年間と見られていたが、猪方小川塚古墳はそれよりも100年ほど後の築造であり、従来の考え方を再検討する必要がある(2)竪穴系の主体部を持つ古墳群が同市和泉地域を中心に形成されているが、猪方小川塚古墳はそうした古墳を避けるように多摩川を見下ろす段丘上に造られている(3)切石積みの横穴式石室は多摩川流域でも数少ない貴重な例で、多摩川中流から下流にかけての古墳の石室は河原石積みが多く、猪方小川塚古墳の埋葬者はそれよりも有力な人物と推定されるという。
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周溝から出土したつぼ
14日10時から16時まで行われた見学会には、市内外から約400人が次々と見学に訪れ、地中から掘り出された石室に見入ったり、担当者の説明に熱心に耳を傾けていた。
見学会は10月21日にも行われる。
見学会に関する狛江市の案内ホームページはこちら(http://www.city.komae.tokyo.jp/events/index.cfm/detail.4.50500.html)
問い合わせは電話03-3430-1111狛江市教育委員会社会教育課文化財担当。

2012-10-16 in 05)歴史, 07)文化・芸術, a) 狛江市のニュース, 科学 | Permalink

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