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2008年11 月 9日 (日曜日)

川崎市麻生区早野で初の遺跡見学会:250人が古墳や住居跡を見学

081102isekikengaku01 川崎市麻生区早野で11月2日、ことし8月から遺跡発掘調査を行っている「早野上ノ原遺跡」現場で初の見学会が催され、小学生から熟年まで約250人が参加、縄文時代の住居跡や古墳の周溝などを見て、歴史ロマンにふれた。

写真=見学会の様子、遺跡で見つかった坏(左下)とツボ(右下)

この場所は、早野聖地公園の一角で戒翁寺の南側の標高約60mのゆるやかな傾斜がある台地で、川崎市教育委員会の遺跡分布調査などで埋蔵文化財がある可能性が高いとされた場所。聖地公園を管理する市環境局が2005年に墓地造成工事を始めるにあたり、試掘調査を行ったところ、遺跡を発見。遺跡があると推定される約8,000平方メートルを調査する方針で、一次調査として2007年10月から12月まで約950平方メートルを発掘、縄文時代の住居跡などが見つかった。
081102isekikengaku02_2 見学会が行われたのは、2次調査現場で広さは約1,800平方メートル。これまでに、約4500年前の縄文時代中期から約400年前の江戸時代初期までさまざまな時代の住居跡や遺構が数多く見つかった。主なものは、縄文時代中期から後期にかけての住居跡2軒、弥生時代後期から古墳時代初頭の住居跡3軒、古墳時代の直径約18m円墳と住居跡2軒、古代(奈良時代から平安時代初期)住居跡2軒、中世から江戸時代初頭にかけて墓として使われたと見られる地下式坑2基、井戸跡、道路跡、集落の区画の跡と推定される溝状遺構など。市教委文化財課によると、このうち特に早野地区としては初めての弥生時代の遺跡と古墳が見つかり、これまでに同地区で数多く発見された古墳時代の横穴墓や地続きの横浜市青葉区にある古墳との関連、古代の住居跡から瓦(かわら)片、かまど近くから土師器のサラ状の坏(つき)7枚が重なるように見つかった(写真・左上)など今後の調査が期待される発見という。
081102isekikengaku03 川崎市内では同じ場所で約5000年間と複数の時代にわたる遺跡が同時に発見されたケースは珍しく、市環境局の協力で急きょ見学会が開かれることになった。午前10時から一時間おきに3回に分けて行われた見学会では、市教委の職員と発掘を担当する(有)吾妻考古学研究所の調査員がそれぞれの遺跡について特徴や時代を推定する根拠となったカメなどの土器片を示しながらていねいに解説。熱心にメモをとったり写真を撮影していた市民も多く、なかには2回も参加した人もいた。
先祖代々早野に住む杉本一男さんは「むかしからこの山周辺を『塚山』と呼んでいたいたので、なにか出てくると思っていたが、こんなに長い間にわたって人が住んでいたのに驚いた」と感慨深く話していた。
この場所は、12月で一端調査を終えた後、今回発見されなかった旧石器時代の遺跡も残っている可能性があるため、さらに土を掘って調査が行われる予定だ。
市教委によると、早野地区は記録が少ないが、国府があった府中と横浜を結ぶ街道の真ん中の地点にあたり、かつては交通の要衝として栄えていた可能性が高いと説明している。

2008-11-09 in 02)イベント・催事, 05)歴史, b) 川崎市のニュース, b1) 川崎市麻生区 | Permalink

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