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2007年3 月14日 (水曜日)
川崎市多摩区の小沢城址に石碑:菅町会が60周年記念に建立
川崎市多摩区菅仙谷に残る中世の山城・小沢城址(じょうし)に記念の石碑が立てられ、3月12日に地元の関係者など30人余りが出席して除幕式が行われた。菅町会の60周年記念事業として、地元の歴史的な遺産を永く伝えようと建立されたもの。
写真は石碑の前に立つ阿部孝夫川崎市長(右)と菅町会の川崎善太郎会長
小沢城址公園の広場に立てられた記念碑は、台座を含む高さ約2.5m、幅約1mで、宮城県の阿武隈山地にある大蔵山だけで産出する「伊達冠石」製。表面は平に磨き上げられ、阿部孝夫川崎市長が書いた「小沢城址」の文字が刻まれている。
午前11時から催された式典では、小沢城の北側にある穴澤天神社の祢宜山本秀信さんによる神事に続いて、阿部市長、菅町会の川崎善太郎会長らが除幕を行った(写真左)。
川崎会長が「阿部市長に揮ごうしていただき、地元にとって戦前からの念願だった小沢城の記念碑の建立が実現でき、うれしい。今後は案内板なども整備し、子々孫々守り伝えていきたい」とあいさつ、阿部市長は「末永く残るものなので、何回も練習しました。多くの人に喜んでいただいて胸がいっぱいです。小沢城は、川崎市などが進めている緑の回廊プランの出発点にあたる年に碑が立ったことは、エポックメーキングになります」と喜ぶとともに、「これまでも数回、記念碑に揮ごうしたが、自分の名前が刻まれたのは初めて」と裏面に記された署名を感慨深げに見入っていた。
式典では、郷土史家の角田益信さんが「小沢城では4回にわたって戦火に見舞われており、市内にある城では最も多い。また、菅に伝わる古民謡の『初瀬』は鎌倉から伝わったといわれており、中世の歌がいまも残っていることは貴重なこと」などと解説。地元の保存会の女性が碑の前で「初瀬」を披露した(写真右下)。
稲城市と境を接する丘陵上にある小沢城は、鎌倉時代初期には急傾斜になっている北側斜面のへりを多摩川が流れる堅固な山城で、源頼朝の重臣だった稲毛三郎重成の子、小沢小太郎の居城だったといわれる。交通の要衝として、鎌倉幕府の防衛など戦略的にも重要な位置にあり、鎌倉時代末期の元弘3(1333)年、新田義貞と幕府軍との間でくり広げられた分倍河原の合戦をはじめ、南北朝時代、戦国時代などに度々合戦の舞台となった。
現在も、室町時代に築かれたと推定される空堀や物見やぐら、土塁などが残っており、一帯は緑地公園として保存されている。
2007-03-14 in 01) 自然・環境, 05)歴史, 07)文化・芸術, 09)市民活動, b) 川崎市のニュース, b2) 川崎市多摩区 | Permalink
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