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2005年8 月17日 (水曜日)

宮前区初山で8月16日に閻魔まいり:江戸時代からの伝統行事を復活

050817ennma1江戸時代から続いていた地域の伝統行事を復活させようと8月16日、川崎市宮前区初山で「閻魔(えんま)さま宵参(よいまい)り」が催された。会場の初山十王堂には日暮れから夜9時過ぎまで初山周辺の人など約100人が赤い提灯に照らされた閻魔様や地蔵菩薩に手をあわせ、先祖の人々の信仰に思いをはせていた。

写真/上から=宵参り、念仏講全景、数珠をまわす講中の人、十王堂世話人の矢澤茂さん、
菅生中学の縄田教諭の地獄絵、

050817nennbutu1同じ敷地内にある初山会館では、午後8時前から「初山念仏講」が開かれ、講中の22人が輪になって念仏を唱えた。050817nennbutu2念仏は、1080個からなる約7mほどの長い数珠を全員が持ち、リード役の唱える「南無阿弥陀仏」と鉦(かね)に併せて数珠を回しながら大声で念仏を唱える「百万遍」と、数珠なしでやや小声で唱える「60ズメ」と呼ばれる二種類を唱和した。講長の松井文雄さんによると念仏講は、毎月15日に古くから初山に住む24軒の講中の家で周り持ちで開かれており、8月は閻魔様の日に合わせて1日遅れで同会館で開いているという。

  市内で唯一、地域住民が守る閻魔堂

050817ennma2初山十王堂は川崎市内で唯一、地域の人が守ってきた閻魔堂。中には大きな口を開き宝冠を被った閻魔大王坐像(高さ86㎝・木造寄せ木作り)と地蔵菩薩立像(高さ82㎝・同)が各1体、石像の閻魔像、脱衣婆像など12体(高さ25.8㎝から33.5㎝)計13仏がまつられている。仏教では生前の行いを審判する10人の王がおり、そのちのひとり閻魔王は地蔵菩薩と同一とされている。
先祖代々十王堂を守ってきた世話人代表の矢澤茂さん(49)の家には、閻魔像の造立と修復などを記した版木が残されている。それによると元禄年間(1688〜1704)に下菅生村を治めていた旗本が造立、幕府直轄となった明和年間(1764〜1772)に大破し、十王堂を信仰していた地元の村人が天保15(1844)年に再建、3日間に渡って入仏供養を行ったと書き記している。
茂さんの伯父に当たる矢澤晃さんに(74)によると、戦前は初山の多くの人が8月16日に閻魔様におまいりしたが、時代が下がるとともに同所奥にある墓地に来る人や念仏講など限られた人々だけがまいるようになったになったという。1968年に隣接地にある集会所「初山会館」が火災に遭ったが、堂の前にある2本のイチョウに守られ類焼を逃れた。050817ennma3
その後、木像2体は塗りが剥落(はくらく)するなどいたみがひどくなり、世話人で話し合いを行って天保の供養から160年目にあたる2003年に修復した。これを機会に、矢澤さんらは、300年以上の歴史を持つ十王堂の存在を地域に再認識してもらおうと閻魔詣りの8月16日に開眼供養を行い、修復記録や十王堂の歴史などを掲載した「蘇る十王堂」を発行、宵詣りを再開した。また、子どもにも閻魔様の意義が理解できるようにと、PTA会長だった縁で知り合った菅生中学美術家教師縄田芳信教諭に絵を依頼、閻魔王の地獄審判の様子と子どもを救済する地蔵菩薩の世界の2作品ができあがった。2.3m、幅1.8mのキャンパス地描かれた絵は、毎年宵詣りに敷地内に飾られている。
世話人らは、赤米の「御洗米」を用意、参詣者に配った。矢澤さんは「先祖から伝わったことを次の世代に残していくのが我々のつとめ。宗教行事と重く考えるのではなく、きれいになった像を見てもらうことで少しずつ浸透していけばうれしい」と静かに語っていた。

2005-08-17 in 02)イベント・催事, 05)歴史, 09)市民活動, b4) 川崎市宮前区 | Permalink

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