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2004年12 月 2日 (木曜日)

高津文化協会が区内の公園に北原白秋の歌碑を建立

04120201「ペチカ」「この道」など数多くの童謡の作詞を手がけ、いまも多くの人に親しまれている詩人で文学者の北原白秋の歌碑が高津区の久地梅林公園(久地 3-4-32)に立てられた。春から碑の建立を進めてきた高津区文化協会(鈴木穆会長)の会員など関係者が出席し、11月3日に除幕式が行われた。
高さ 127cm、幅67cmの木曽川の石製の碑には「君がため 未明(まだき)に起きて 梅のはな 見に来りけり まさやけき花」の歌が刻まれ、裏側に解説が記され、まわりには2本の梅が植えられている。
写真=久地梅林公園のに立てられた歌碑と高津区文化協会会長の鈴木穆さん

04120202「昭和6(1931)年初夏から、同区の対岸にあたる砧村大蔵(現、世田谷区)に住んでいた白秋が、8年2月27日夜に催される与謝野鉄幹の還暦の祝賀会に出るにあたり、梅を題材にした歌を出席者が持ち寄ることになったため、当時、梅の名所だった久地の梅林へ祝賀会の早朝に訪れて、この歌をはじめ10首をよんで、鉄幹へ贈った。
これらの歌は、龍が地をはうように茂ることから「臥龍梅」と呼ばれる古木を見て、うわさ通りのすばらしさに感動して生まれたといわれ、久地の梅林の盛時をしのばせる。当時この一帯は、名主を務めた旧家・川邊家が所有し、臥龍梅のほか多数の梅の木が植えられていたことから「梅屋敷」と呼ばれていた。宇奈根の渡し場近くのメイン通りだったことも手伝い、周辺から多くの人が見物に訪れ、屋台も出るなどのにぎわいをみせた場所だ。 2002年に開園した約3800平方m同公園内には、かつての梅林を再現しようと20種 41本の梅が植えられている。
白秋は、明治から昭和にかけて活躍した詩人・歌人で、『明星』『スバル』などに作品を寄せ、短歌雑誌『多磨』を主宰するなど大きな足跡を残した。また、「すかんぽの咲く頃」「あめふり」「ゆりかごのうた」「松島音頭」などの童謡や歌曲の作詞家としても名高い。
除幕式では、手島好子高津区長らが参列、区内在住の桜井純恵さんが白秋の童謡などをソプラノで独唱した後、鈴木会長らが除幕、石塚照洲さんが「文学碑の白秋歌を吟ず」を披露して、完成を祝った。
同会では、地元を称えた有名な歌人の歌を次の世代に残したいと春から歌碑の建立を検討、川崎高津区ロータリークラブなどの協力で実現。また、同区と高津区観光協会が市制 80周年記念事業の一環としてステンレス製の説明板を11月下旬に設置した。
同会の調べでは、白秋の碑は、多摩区登戸に「多摩川音頭の碑」、麻生区の王禅寺境内に禅寺丸柿をよんだ歌碑があり、今回で3基目。また、高津区内には岡本かの子、国木田独歩など文学碑があり、これで12基になったという。
同会では、区の新しい観光スポットとして定着するよう、文学碑の説明ボランティアを養成し、文学碑を巡る散歩コースも作りたいと意欲をもやしている。
04120203式典に参列した元地主家族の川邊勝代さんは「土地を手放すことになったが、公園に再び梅の木が植えられ、今回建立された碑が我が家の正面にたち、ご先祖様にいい供養ができる」と喜んでいた。
鈴木会長は、「長年温めてきた文学碑構想が白秋忌(11月2日)翌日の文化の日に実現できてとてもうれしい。区内には文学にちなんだ場所が多くあり、これらをつないで文化的知名度をあげていきたい」と話している。

2004-12-02 in 07)文化・芸術, 09)市民活動, b3) 川崎市高津区 | Permalink

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