« 二ケ領せせらぎ館で多摩川流域の初の歴史セミナー | メイン | 矢野狛江市長が川口町に見舞い:義援金など手渡し、被災者を激励 »

2004年11 月 2日 (火曜日)

狛江市の川口町救援隊:道切り開き一番乗り

0411020110月23日夕方発生した新潟県中越地震で大きな被害を受け、陸の孤島状態となった川口町へ外部からまっ先に救援にかけつけたのは狛江市の職員たち。24日には3陣に分かれて21人が、自衛隊が到着する前日にトラックに救援物資を積んで救援にかけつけた。
当時の救援隊の様子や被災地の状況などを、松原市民協働課長らに聞いた。
(写真=25日、孤立した集落へトイレを運ぶ狛江市の職員たち。道が壊れているところでは、約50キロあるトイレをかついで運んだ。写真提供、狛江市)

狛江市は、1987年に川口町と「ふるさと友好都市」の提携を、翌1988年には相互援助を目的として「防災協定」を締結している。いかだレースや市民祭りをはじめ狛江市のさまざまな行事にも川口町から参加するなど、17年余りにわたって官民をあげて交流を続けてきた。
ふるさと交流を担当する市民協働課長らは、地震発生の約2時間後に登庁、午後7時15分から情報収集を始めた。しかし、町役場へは電話が通じない。知り合いの同町職員などに次々と電話を入れるが、どこも音信不通。ようやく企画商工課長に連絡が取れたものの、小千谷に出かけて川口町へ帰る途中で、がけ崩れで足止めになっているという。マスコミからの情報もほとんどないため、川口の様子は全くわからず、心配はつのるばかり。結局、この日は午後9時30分過ぎに全員、帰ることにした。
翌24日、午前8時30分にようやく川口町災害対策本部と連絡が取れ、ただちに「川口町災害支援対策本部」を設置、矢野市長ら幹部職員と消防団が協議、必要資材をすべて提供する方針を決めた。
現地の状況を確認するため先発隊が午後12時20分に出発。メンバーは同町との交流を担当し、町をよく知る松原市民協働課長と西田総務防災課長、消防団団長ら5人。消防団の本部車と毛布、テント3張り(うち1張りは支援隊用)を積んだ2tトラックで、川口をめざす。
既に関越自動車道路は交通規制が始まり、一般車は月夜野インターで下ろされたが、一行は緊急車両のため、川口インター手前の越後湯沢で高速を下りた。国道17号で川口町をめざすが、川口町を入ってすぐのところにある雪よけの「和奈津立橋」が崩落して進めない。小千谷市からのルートに変更したが通行不能で、ようやく隣接の堀之内町から川口へ入った。
どの道もいたるところで土砂崩れや道路のひび割れ、陥没が相次ぎ、車ごと陥没している道もあり、地震の強さと被害の大きさを見せつける。不安はつのるが、とにかく行けるところまで行こうと、前進を決める。途中、土砂崩れで木が垂れ下がっている場所では、車の屋根に登って木を切り倒し、なんとか後続のルートを作る。
道路が寸断しておりルートがわからないため、市役所へ連絡を入れ、町の人に道案内を頼んでくれるよう要請。道案内役の川口町職員と合流し、4時間後の午後4時30分過ぎ、町役場へたどり着いた。
陸の孤島と化した同町に入った支援の車は初めてで、出迎えた町の職員らは感激したという。
現地は電気、ガス、水道のライフラインが壊滅し、食料や飲み水もない状態。役場へ来られない職員も多い。
救援隊はこうした被災状況などを狛江に連絡。町からの要望を聞いて、追加の支援物資などを伝える。
先発隊から3時間後の午後3時20分に第2陣8人が公用車とトラック、消防団ポンプ車に分乗し狛江を出発。
トラックには仮設トイレ20基、毛布320枚、使い捨てカイロ2852個、2リットル入りの飲料水102本、カップラーメン400個、トイレットペーパー200ロールなどを積みこんだ。川口町からの要請で、市職員が急いで市内のスーパーなどに走り、調達したものも多い。
さらに第3陣の8人が午後8時20分に、同じく公用車とトラックで出発。現地からの要請でトイレが不足していることがわかり、仮設トイレ38基を積み込んだほか、トイレットペーパー、投光器、発電機などを持参する。途中、先発隊の要請で、乳児用ミルクやほ乳瓶などを夜の越後湯沢で調達した。
第2陣、第3陣とも、道路が壊れていてトラックが町役場まで入れず、かろうじて通行できる軽トラックでピストン輸送することになった。第2陣の職員たちは、軽トラックが戻ってくる間、すぐ使えるようにとトイレの組み立ても行った。
翌25日には、町役場から離れた集落に物資を運んだが、なかでも困難だったのは「木沢」地区への仮設トイレの運搬。道路が崩れて孤立しており、軽トラックで運べるところまで行き、道が完全に崩れているところでは約50キロあるトイレを人力で運んだ。
狛江市の救援隊は、当初、自宅の建物が壊れ、多くの職員が登庁できないなど行政機能がほとんどマヒ状態に陥っていた川口町のサポートにあたるなど活躍、いまも8人体制でさまざまな支援活動を行っている。

2004-11-02 in 10)社会, a) 狛江市のニュース | Permalink

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a01287752e364970c01287752e7a6970c

Listed below are links to weblogs that reference 狛江市の川口町救援隊:道切り開き一番乗り:

» WAO!!!狛江市!!! from Bamkero.net
今日の午後は余震に怯えながら、でもすることもないので久々新聞をじっくり読んでみました。 で、読売新聞で見つけた記事で、こんなのが。 でも、ネトでは掲載されてい... [続きを読む]

トラックバック送信日 2004/11/08 22:50:42

コメント

コメントを投稿