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2004年10 月14日 (木曜日)

10月17日に麻生区で禅寺丸柿まつり

04101402「柿生」の地名のルーツとなった川崎市麻生区の特産品・禅寺丸柿にちなんで、むいた皮の長さや種とばしなどユニークなイベントを行う「禅寺丸柿まつり」が、10月17日午前10時から午後3時まで川崎市麻生区上麻生6丁目の麻生水処理センターで行われる。
(写真=「丸柿」と呼ばれる昔風に枝ごと束ねた禅師丸柿)

この祭は、1214年に同区王禅寺で発見された日本で最初の甘柿・禅寺丸柿を見直し商店街の活性化をと、1995年に柿生中央商店会が柿生禅寺丸柿保存会(中山茂会長)の協力で収穫期に合わせ初めて催し人気を呼んだ。一時中断したが、地元の祭の復活を望む声で2001年に再開。8回目のことしは、同保存会、柿生駅前町内会、上麻生東町内会のほか、今年の夏に発足したボランティア団体NPO法人柿生環境会が協賛する。
同会の中山会長によるとことしの禅寺丸柿は「近年にない大豊作」だという。
メインイベントの「皮むき」と「種とばし」は、午前10時・午前11時10分・午後1時10分・午後2時10分の4回催され、上位入賞者には、賞品がプレゼントされる。このほか、太鼓やおはやし、禅寺丸の写生会のほか、ビール、焼き鳥、柿にちなんだ和菓子、禅寺丸ワインも販売される。
問い合わせは電話044(987)1270太平屋。

【禅寺丸解説】
禅寺丸柿は、直径5センチほどの丸い甘ガキで、江戸時代から数十年前まで農家の貴重な現金収入として、柿生地区をはじめ川崎北部で盛んに栽培されていた。
実が大きく種のない品種におされ、小粒で種の多い禅寺丸の人気は急落、市場出荷はほとんどなくなり、農家の庭先販売や農協などの産直で売られるだけになった。こうしたことから、地名のルーツといわれるこの柿を「ふるさとのほこりとして保全し、後世に伝えよう」とかつての栽培農家が1995年に「柿生禅寺丸保存会」(中山茂会長)を結成、区内の庭先に残る禅寺丸の調査にのりだすなど保存運動に取り組んでいる。経済性も高めようとワインを試作、1997年から柿ワインの発売を始め、1999年に禅寺丸柿とワインが川崎ブランドに指定された。2000年には王禅寺の境内にある原木に記念碑を建立した。最近は市内のイベントに参加して柿を販売、人気を呼んでいる。また、2002年から普及活動に力を入れるため「柿を通して先人が培った歴史文化を次世代に伝えよう」と、苗木のプレゼントを行っている。
同会がまとめた『禅寺丸柿のあゆみ』によると、禅寺丸柿は、1214年に王禅寺地区の山中で偶然発見された日本最初の甘ガキで、古刹・王禅寺の住職等海上人が里人に栽培を奨励したと伝わる。その後、天領だった王禅寺地区の見回りに来た徳川家康によって「王禅寺丸」と命名され、1648年ごろから盛んに江戸に出荷、大きな収入源となった。1889年の町村制施行時には近隣の10カ村を統合し、柿の生産が多いことから「柿生村」と名付けられた。1902年には、真福寺の森七郎さん宅の樹齢300年の柿の木を選びその実を天皇に献上、このころから大正にかけてが最盛期で、昭和初期には共通のレッテルの木箱で出荷したという。第2次世界大戦後に再び市場の人気が復活し、柿の生産が盛んになるが、1970年代半ばには市場からその姿が消え、農家の庭先などの残された木は多いが、相続や家の建て替えなどで年々減っている。

2004-10-14 in 05)歴史, 08)経済・農業, b1) 川崎市麻生区, | Permalink

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