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2010年2 月16日 (火曜日)

狛江市のむいから民家園に150年前の長屋門復元 : 市内の旧家・高木家の

100213nagayamon04  狛江市元和泉の狛江市立市立古民家園(愛称・むいから民家園)に、約150年前の江戸末期に市内の旧家に造られた長屋門が復元され、2月13日に落成のセレモニーが行われた。長屋門は西野川1丁目の旧髙木家にあり1999年に解体、同園に移築保存するため狛江市に寄贈された。2008年7月から復元工事が行われ1年半がかりで2010年1月に完成した。

写真(上から)=長屋門。みぞれの降る中、長屋門をくぐり抜ける式典参加者。床張りに再現された蔵。主屋であいさつする矢野市長。くす玉を割る髙木家19代当主の高木光さん(左から2人目)、矢野裕・狛江市長(左から4人目)、道下勇・市議会議長(左から5人目)

100213nagayamon031999年に高木家の土地が売却されることになり、これを知った市民から長く親しまれてきた長屋門を惜しむ声があがり、「高木家を保存する会」が発足、市民の手で写真記録や近くの小学校の体験学習などが行われた。
当時調査を担当した建築史家の稲葉和也さんによると、高木家は江戸中期から末期まで名主を務め、江戸時代には「高野」と名乗っていた。12代の高野頼正が宝暦4(1754)年に覚東村の名主に就任、15代孫七の代の安政2(1855)年に徳川御三卿のひとつ、清水家の鷹場触次名主に任命され、周辺24カ村に鷹狩りのお触れを伝える役に就任したという。そのころは普段は門は閉じられ、身分の高い人が来訪するときだけ明けられたといわれる。また、長屋門からは解体時に「安政未(6、1859)年」と和泉村の棟梁(とうりょう)飯田栄八が建造したことを記す棟札(むなふだ)が見つかった。
100213nagayamon05この長屋門は、間口11.97m、奥行き4.24mで、当時の屋根は茅葺(かやぶき)だった。
復元された長屋門は、防火などへの配慮から茅葺きの形を模した銅板葺きとなったが、クギなどを使わない在来の構造形式を踏襲、江戸時代に造られた形式が判明した部分は当時の姿に復元された。中央に両開きの門扉があり、表正面右側は土間の納屋、左側は板葺きで蔵屋として再現された。主屋との位置関係は、高木家にあっていたときとほぼ同じ配置となった。
100213nagayamon01市内で唯一の長屋門は、今後市の文化財に指定される予定で、土間、納屋部分は、ギャラリーなどに利用することが検討されている。
 午前10時からの落成式は中庭で予定されていたが、みぞれが降る悪天候のため、急きょ主屋に変更され、矢野裕・狛江市長、髙木家19代当主の髙木光さんら約70人が参加した。
 セレモニーで矢野市長は「民家園の構想段階から決まっていた長屋門がようやく完成し、予定していた建物がすべて出来上がった。2002年3月の開園以来、ここにはのべ19万人余りが訪れている。長屋門の完成で市民交流、昔の生活体験、四季の移ろいを感じる場としてさらに市民に愛される施設になることを期待している」とあいさつ。
100213nagayamon02高木さんは「復元できて感激でいっぱい。長屋門を見ると両親や先祖のこと、幼いときに屋根裏で遊んだことなどが思い出され、生活の一部というより体の一部となっていたことを感じます。19代当主として維持できなかったのは私の責任と思いますが、皆さんのお力で市内に残ったことに深く感謝しています。これからは狛江の宝として皆さんとともに見守っていきたい」と喜んでいた。続いて高木さんらは門の表側に回り、くす玉を割って開門、参加者が門を通って完成を祝った。

2010-02-16 in 02)イベント・催事, 05)歴史, 09)市民活動, a) 狛江市のニュース | Permalink

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