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2004年7 月26日 (月曜日)
狛江市の土屋塚:推定より100年古い、首長級の大型古墳だった
狛江市の「土屋塚」と呼ばれる古墳の発掘調査が6月16日から7月末までの予定で行われている。発掘現場からは約5000点にのぼる埴輪(はにわ)片が出土、その形式などから、これまで推定されていた6世紀半ばより約 100年さかのぼり、市内古墳群の中で最も古い時代に属する首長級の豪族の墓だった可能性が高く、学術的に大きな価値を持つ貴重な発見として研究者の注目を集めている。
狛江市内には、かつて「狛江百塚」と言われたほど多くの古墳があり、5世紀初めから約150年ほどの間に造られたとみられている。今回の土屋塚は、その規模などから高い位の支配者のものと考えられ、狛江の歴史がこれまでとは変わる可能性も出てきたという。
■直径約58メートルの大型古墳
塚は同市岩戸南 1--1043-2にあり、1986年1月に狛江市の文化財に指定されている。調査直前まで古墳の頂上には稲荷社がまつられており、比較的良い状態で残されていた。
調査は、同地にマンションを建てるための緊急発掘で、対象地域は墳丘の東側の約580平方メートル。その結果、古墳は高さ約5メートル、直径約40メートル、周溝の幅は約9メートルで、周溝を含めた全体の直径は約58メートルと市内の古墳の中では大型なものであることが判明した。
今回の調査は古墳の周溝部分で発掘が行われ、古墳の規模や埴輪の様式、文様などから首長クラスの支配者のものであると推定された。さらに、同市教育委員会発行の「狛江市文化財調査報告書『狛江市の古墳(1)』」に掲載された古墳分布踏査(1960年実施)で6世紀半ばとされてきた築造年代より100年以上さかのぼる5世紀半ばに造られた可能性が高いこともわかった。刀剣など多数の副葬品が出土した多摩川流域で最大級を誇る5世紀半ばの野毛大塚古墳(世田谷区野毛1-36、全長82メールの帆立貝式古墳、都文化財指定)よりやや遅れた時期と推定される。
■古墳の専門家も「貴重な発見」と評価
7月 26日には、日本考古学協会の前会長で古墳時代研究の第一人者・甘粕健・新潟市歴史博物館館長が現地を視察、歴史的にも大きな発見だと高い評価をくだした。
甘粕館長によると「狛江古墳群のなかで規模も大きく、5世紀初頭の野毛大塚古墳(世田谷区野毛)に次ぐ5世紀半ばの古墳」と推定、その根拠として、土屋塚で出土した埴輪の中に、関東地方最大の太田天神山古墳(群馬県太田市、全長230メートルの前方後円墳、国指定史跡、 5世紀半ば)でしかみつかっていなかった埴輪の「方形すかし穴」が施されたものがあり、埴輪片に野焼きで作られた黒班が残っていることなどをあげた。
さらに、埴輪の上部に畿内の技術「ヨコハケ」がある点を指摘、畿内や毛野(けぬ)と何らかの関係を持つ大きな力を持った豪族の墓ではないかという。
狛江の古墳は比較的大型のものが数多くみられ、有力な豪族が周辺の地域より多かったことを物語る。こうした豪族が結束した力は大きく、この一帯の政治情勢を左右する力があったとみられ、今後の古墳時代の研究に新たな一石を投じる、貴重な発見と言えそうだ。
(写真上=土屋塚の発掘現場。後方が古墳/写真中=土屋塚の周溝部分の発掘作業/写真下=出土した大量の埴輪片)
2004-07-26 in 05)歴史, a) 狛江市のニュース | Permalink
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