新潟県中越地震の震源地に近い川口町とふるさと友好都市を結び、防災協定を締結する狛江市は、地震直後からさまさまな支援活動を行っている。狛江市議会を代表して11月17日、契約公用車を利用して日帰り強行軍でお見舞いと視察に訪れた白井明議長に現地レポートを寄せていただきました。
写真上=歩道が1m近く重なっているホテル蒼丘近くの道路を視察する白井議長(写真提供、鈴木副議長)
◆“山が波のように揺れた” 新潟県中越地震川口町へのお見舞い
狛江市議会議長 白井明
関越トンネルを出て、新潟県に入ると関越自動車道を横断する一般道路の橋脚補修工事が行われており、地震の傷跡が極端に目に入るようになりました。
小出町のはずれの小出トンネルを過ぎると、関越自動車道の表層を補修した黒いアスファルトの路面が多くなり、隣の堀之内町に入ると道路は1車線に規制され、強い揺れで高速道路も歪んだのでしょうか、乗用車でも路面の凸凹がわかるような振動を感じました。
看板や電柱は傾いたまま、山の斜面では土砂が崩れ、その部分と建物の屋根を覆うブルーシートが目立つようになり、また関越自動車道から見えるお寺の墓石はほとんどが倒れ、無残な光景でした。
川口町に入り、越後川口のインターを出たサービスエリアに行くと、トイレは通常に使用できますが、店内は整備もされず閉店したままで店先の売店だけが「サンドイッチ」、「おむすび」とコーヒー、お茶などを販売するだけの営業でした。また駐車場の一角には自衛隊員用と思われる数張りのテントが設置されていました。
インターを出て役場へ向う通常の道路は通行止めになっており、大きく迂回し、魚野川、信濃川を渡ると道路脇の平坦な場所に自衛隊やカラフルなテントが設置され、また県外ナンバーの自動車、警察のパトロールカーなども見られ、震災の影響もあるのでしょうが、道路は渋滞していました。
役場の前庭には報道関係の自動車などが駐車し、また農林水産大臣や国土交通省(大臣政務官など)の視察があり混雑しておりましたが、一角にプレハブ建物内に設置された「川口町災害対策本部」の隣に「狛江市災害救援本部」があり、岩手県種市町、福島県桑折町の職員とともに支援活動に従事していました。庁舎は思っていたよりは被害も少ないようで3階の議会事務局で川口町議会議長、副議長から地震発生からの経過等について話を伺いました。 「幹線道路は、除雪できるよう簡易整備を雪が降る前に実施するが、崩壊しかけた建物はそのまま潰(つぶ)し、雪解け後にその処理をするようになる。」
「年々人口が減少ぎみだが、働く場の問題などから若者の流失が心配だ。」など今後の町政運営、町づくりについて話されました。
また、町議会議長は“山が波のように揺れた”と地震発生時の有様を表現されましたが、町内のほんの一部を視察しただけでもその言葉が実感として感じ取ることができました。
山間部の木沢地区へ行く途中、泉水小学校では仮設住宅の建設が始まっていましたが道路はゆがみ、山間部に入ると道路は至る所で谷の方向に崩れ、一部は道路がなくなってしまい山側を削った応急の道路で、雨の時は自動車の通行が危険に思える場所もありました。
また、町内の98%とほとんどの建物が被害に遭ったとのことですが、木沢地区へ行く途中の武道窪地域では、元の姿もわからないほど無残な建物の残骸もあり、それは倒れるというよりは上下の力により潰された感じがいたしました。木沢地区では、総代さん(地域の代表)を中心に話し合いですべて事が決まっていくとのことですが、統合により廃校となった旧木沢小学校と体育館が避難所となり、一応落ち着いた生活をされているようにも見えましたが、近づく雪の季節を前に今後の生活を心配しながら涙を流され、また「狛江からの支援に感謝している」と声を詰まらせていました。
狛江市民が川口町を訪ねたときに宿泊した「ホテル蒼丘(旧サンローラ川口)」も大きな被害を受け、近くの駐車場は大きな陥没や亀裂がそのままであり、また、町の体育館は基礎部分が1メートルぐらい“ずれ”て鉄筋がむき出しになり、グランドは凸凹で照明灯も倒れるなど、町の一部のみを視察しただけですが、自然の力、地震の恐ろしさを見せつけられた、そんな感じがいたしました。
幸いなことに私たちは震度7というような大きな“ゆれ”を経験しないでいられますが、川口町民が住み慣れた土地で生活再建ができるよう一日も早い復興を心より願っています。
写真中=土台が崩れ横に20数cmずれた狛江・川口の友好の碑(写真提供=鈴木副議長)
写真下=狛江市の少年野球チームも利用したホテル蒼丘近くの野球場は照明施設が倒れる(写真提供=鈴木副議長)
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