ある日、「田んぼでコンサートをしたいので企画を手伝って」と相談された。
親子農業体験の一つとして米作りを行ってきた行政の事業が今年で終了ということになるので活動を通して交流を深めてきた人たちと、田んぼを囲んで音楽を聴きながら、歌を歌おうという企画をしてみたいのだそうだ。
竹の中にろうそくを灯し、日没とともに田んぼに「今までありがとう!」という気持ちや思い出に話に浸って昔を懐かしみたいという。
どれだけの人が集まり、どんな思いで参加してくれるのだろう?
私はコンサート企画と構成をお願いされたけれど、最初は状況が想像できなかった。「舞台は? 楽器は? 音響は? 演奏者への照明は? 譜面燈は? 譜面台は? 蚊も出るでしょう?」 「風が強かったら譜面が飛ぶかもしれないからその対策もしなくちゃー。」などと次から次に出てくる私の質問にまわりは面食らっていた。
「そうだね。そんなこともあるね。」とたじたじの返答。
「雨だったら?どうなるの?」 「うーん。ちょっと。また考える」 そんな言葉のやりとりが続いた。
幸い「晴れ」で万々歳だったけれど、当日まで心配事だらけだった。
当日、みんなで歌う歌が始まると少しずつ人が歌声に吸い寄せられて集まってきた。
でも、不思議なことに全員遠巻きに立ったまま。 こっちが恐ろしくなるぐらい遠巻きに立っている。
「一緒に歌おうよー」と声をかけても、恥ずかしそうに「いいです。いいです」と言わんばかり、手を横に振っている。 日本人特有の仕草?かな? それでもだんだん雰囲気に馴染み、歌い始めた。
バイオリンやギターの演奏も聴いてくれた。
案の定、風は強かった。で? 対策は「洗濯ばさみ」を使って譜面を固定。照明は演奏者の後ろから照らしていた。 実は、あの大きな照明機が譜面燈のつもりだったようだ。
演奏者はろうそくの明かりに照らされた顔をお客様に見せて演奏。なんとも奇妙なおもしろい雰囲気の舞台で、まさに田んぼならではのコンサート。
子供たちの参加も増え、途中で帰る人も少なかった。 「良かった。良かった。」と安心。
音楽って、芸術って、一瞬の感動の財産だと思う。 DVDやCDで再現や再生をしてもそれは本物じゃない。その時を共有した一瞬の感動は2度と味わえない。同じじゃない。その一瞬の感動は人々の心に蓄積され、その人の人生の歩みとともに流れていき、いつかその人それぞれによみがる感動がくる。
田んぼでコンサートに集まってくれた人達は、きっとあのコンサートのおもしろさ、奇妙さ、不思議さ、不完全さ、全部ひっくるめて、何かを感じたに違いない。
何年か経ってあのときのコンサートを思い出してくれたら、嬉しいなー。
家に帰って、蚊に刺された手足に薬を塗りつつ、そう思った。
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