音楽は、オーケストラだけじゃないぞと言わんばかりに、年々、金管楽器編成のバンドや、吹奏楽が盛んになっている。合唱コンクールとともに吹奏楽コンクールも新聞の記事が大きく取り扱うようになってきた。
先日、横須賀芸術劇場で東関東大会のコンクールを聴いた。小学生とは思えない繊細な表現で演奏している学校もあれば、ダイナミックな思いっきりのよい打楽器の音色を存分に味あわせる学校があったりと、様々な演奏を楽しむことができた。
みればウン百万、ウン十万の楽器を持ち、その楽器を自分の体と同じように大切に扱い、自分の音色を出すすごい学校もあった。舞台裏で出番を待っていた小学生やスタッフ見て、興味深いある発見をした。
楽器に対する扱いが学校によってずいぶん違うのだ。楽器を運ぶときにもちょっとした気配りで、持ち方を工夫し楽器が痛まないように神経を使っている学校。 品物として扱っている学校。
合唱では「声」は体の一部、だから自分の「声」には人格を持った扱いをする。 だからそれぞれの心が伝わる歌声が響き、自然に曲の雰囲気を感じ取る豊かな表情があふれ出る。
あらためて感じたことは、楽器は「もの」じゃなく、「自分自身の体の一部」。 出てくる音色は人格を持つ音色なのだ。 そのことに気づくか、意識を持つかどうか。 同じ小学生なのだけど、その部分には大きな違いが出ていた。
でも、でも、小学生の情熱あふれる演奏はどの学校もすばらしかったし、一つ一つの曲の完成度は高くてびっくりした。
小学生の顔はどの子も輝き、喜びに満ちていた。その笑顔と達成感の顔をみると大人は元気をもらえる。
感動を与えてくれてありがとう。ありがとう。小学生たちに感謝。
やっぱり音楽っていいな
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