2012年1 月31日 (火曜日)
狛江市商工会が50周年:激しい時代の変化に応じ狛江の商工業発展に貢献、記念式典でさらに飛躍誓う
狛江市商工会(栗山昇会長)が創立50周年を迎え、1月27日エコルマホール展示多目的室で記念式典が催された。式典には、矢野裕・狛江市長、栗山欽行・同市議会議長、桂教夫・都商工会連合会会長ら来賓をはじめ会員など約200人が出席、半世紀にわたる商工会の歩みを振り返りながら、次の節目となる一世紀をめざして狛江の商工業の発展や会の活動の充実を誓い合っていた。
写真=鏡割りをして50周年を祝う栗山会長(右から2人目)、矢野市長(右端)ら
式典では初めに東日本大震災で亡くなった人や物故した商工会会員に黙とうを捧げた。
栗山会長(写真右中)は「商工会は多くの会員に支えられ、先人の苦労と献身的な努力によってこの日を迎えることができた。この50年間に日本経済は高度経済成長、オイルショック、バブル経済崩壊、世界同時不況などいくつもの転換期を迎えた。狛江でも大手製造業の他地域移転、大型店出店、小田急線高架複々線化に伴う駅前商業立地の変化など大きな変遷があり、商工会も問題解決のため取り組んできた。商工会は現在、事業者の経営改善、地域振興事業を中心に市と連携して取り組んでおり、厳しい経済環境のもと、商工業者のニーズにこたえられる組織として一層努力していきたい」と挨拶した。
次いで矢野市長(写真左下)が「市内の商工業者、地域経済を支えてきた商工会が50年間を迎えたことを喜びたい。創立当時、私はまだ小さかったが、当時の町役場の隣に小さな事務所が建っていたことを記憶している。狛江はまだ田園地帯で商工業者も多くはなかったが、その後発展し、1990年頃のバブル経済崩壊期には事業所の数が2570を超えていた。その頃をピークとしてバブル崩壊、世界同時不況などを経て、現在は2200になっている。(経済が)さまざまな問題を抱えるなかで、商工会は経営改善や地域経済の振興のために努力していただいた。(現在)政治も経済も混迷を極め、課題が山積しているが、商工業が街の元気をつくり出している存在であることに変わりはない。昨年度に策定した基本構想では、活気ある地域社会の創造をめざして(商工業者の)経営基盤の強化、都市型工業の推進、観光振興を軸とした商業の活性化をうたっている。その実現に向けて商工会と手を携えて全力を挙げていきたい」と祝いの言葉を述べた。
アトラクションとして津軽三味線の「民恵会」の後藤与恵男さんらがみごとなバチさばきで「じょんがら節」などの演奏を披露、大きな拍手が送られた(写真右下)。
式典後のレセプションでは、栗山会長ら8人が鏡開きをして、会の半世紀を祝った。
式典後、栗山会長は「50年を迎え、多くの人に祝っていただけてうれしい。難しい世の中だと思うが、東日本大震災で人間も自然の中で生きる動物だということがよくわかった。そうした教訓を謙虚に受け止めながら、原点に戻って質素な環境に合わせた生活、事業を地道に次の世代に継承するとともに、日本が沈没しないような経済体制、まちづくりに寄与していきたい。来賓の祝辞を謙虚に受け止め、次の世代にバトンタッチできるように勤めます」と気を引き締めながら次の50年に向けた意欲を話していた。
狛江市商工会は、1961年11月に「狛江町商工会」として商業や工業などを営む事業所393が会員となって創立。当時の人口は27,561人で、狛江の都市化が急速に進み始めた時期だった。1970年には市制施行に伴い現在の名称に変更した。それまで狛江市役所わきにあった事務所から、1983年に西野川1-4-1に新築したプレハブ2階建ての商工会館へ移り、2003年に現在の東和泉1-3-18へ移転した。この間、人口は76,879人(2011年11月1日現在)に増加、商工会の会員数も951に増えた。
商工会は50年間にわたって狛江の商工業振興の中心的な存在として数多くの事業を展開、人口の増加や都市化、大規模小売店の進出、OA化やIT化など時代の変化に応じた商工業への転換や経営改善などを指導するなど、商店や工場などの経営の手助けを行ってきた。また、小田急線の立体化、狛江駅北口の再開発にあたって商工業者の立場から積極的に発言、狛江の街づくりにも取り組んだ。
狛江市商工会の主な事業・活動は次の通り。
1963年=小口事業敷金貸付制度の新設
1964年=狛江町文化祭で製品展示会開催
1967年=町内商工業者従業員研修会実施。第1回商店コンクール開催
1972年=産業展示会開催
1948年=小企業等経営改善資金融資制度創設
1976年=大型小売店対策商業活動調整協議会設置
1977年=大型小売店対策商業活動調整協議会(稲毛屋)
1978年=大型小売店対策商業活動調整協議会(高島屋ストア)
1979年=狛江市地域小売商業近代化対策調査
1981年=大型小売店対策商業活動調整協議会(京王ストア狛江和泉店、シズオカヤ東調布店、稲毛屋東野川展)
1982年=狛江市商工まつり開催
1984年=小規模事業対策特別推進事業{特色ある商店街づくり」に関する調査
1985年=狛江市地域商業振興基本計画策定調査、商工会地域商工ビジョン策定
1986年=商工会婦人部発足
1988年=消費税導入に伴う講演会開催
1990年=市制施行20周年の「手づくりイカダレース」参加
1991年=「個性あるまちづくり構想」「地域CIによるまちの活性化」調査研究
1993年=狛江駅北口再開発に関するまちづくり委員会設置。商店近代化指導事業特別相談(和泉多摩川商店街振興組合)
1994年=商店近代化指導事業特別相談(御台橋商店会)。装飾街路灯設置。異業種交流準備委員会設置。大型店出店協議会(駅前再開発・小田急商事、京王ストア対策協議会和泉店)
1995年=異業種交流会・KOMAE夢創21発足。大型店出店協議会(京王ストアの酒類販売、ザ・モール調布、仙川サティ、富士シティオ)。商店街カード化連絡会議
1996年=マル経資金利子補給制度実施。狛江市広域商業診断。商店会(街)マップ作成
1997年=大型店出店協議会(小田急マルシェ1、京王ストア)。市内景気動向調査。狛江市商業等振興検討懇談会
1998年=地域振興券発行
1999年=市内共通商品券。住宅総合相談センター発足
2000年=狛江市工業ビジョン策定。情報通信技術活用研修
2001年=会員増強委員会発足。高齢者宅配事業。商工会青年部発足
2003年=「耳寄り情報誌」全戸配布。経営改善強化推進事業
2005年=狛江市指定収集袋取り扱い業務
2006年=商店街ポータルサイト」「コマエリア」開設。狛江市勤労者互助会の事務受託。シナジースキーム事業基本計画策定事業委員会開催
2007年=シナジースキーム事業としてコマエリア携帯電話システム構築・配信
2009年=狛江わくわく商品券発行・販売。シナジースキーム事業としてSNSシステム「こまほっと」構築・配信
2010年=シナジースキーム事業として宅配事業ショッピングカートシステム構築
2011年=東日本大震災復興支援狛江市内共通商品券発行。多摩地域商業便利度向上事業
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川崎市市民ミュージアムで「昔のくらし 今のくらし」展 : 2月4日には桂米多朗さんが落語で昔の暮らし再現
川崎市中原区にある川崎市市民ミュージアムで企画展「昔のくらし 今のくらし」が4月1日まで開催されている。また、関連イベントとして、同市多摩区在住の落語家桂米多朗さんが出演する古典落語会が2月4日11時から同館1階映像ホールで無料で催される。
「昔のくらし 今の暮らし」は、古代から現代までの暮らしを生活道具の移り変わりから振り返る展覧会で、小学3年生が学ぶ「昔の道具とくらし」のカリキュラムに合わせ、毎年この時期に同ミュージアムで開催されている。
1月24日から開催されていることしの同展は、節電や東日本大震災の影響で関心が高まる冷暖房と防災と関連する企画展示コーナーを設け、かや、うちわ、置きごたつ、湯たんぽ、かいまきなど夏・冬に使われた道具のほか、消防用具、災厄除けなどを展示する。また、石うす、足踏みミシン、つるべ井戸、ダイヤル式黒電話など昔の道具にさわるコーナーもある。
落語会は、昔の暮らしを話芸で再現しようと企画された。
同展は4月1日まで。期間中学芸員による展示ガイドが毎週土曜日14時から行われるほか、日曜日にはベーゴマやけん玉、井戸ポンプなど昔の遊びや道具を体験する催しも13時から15時30分まで行われる。
開館時間は9時30分〜17時(入館は16時30分)。観覧は無料。
問い合わせは電話044(754)4500川崎市市民ミュージアム。
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2012年1 月28日 (土曜日)
川崎市麻生区の麻生不動でだるま市:不況退散願い家族連れなど約7万人で大にぎわい
川崎市麻生区下麻生の麻生不動院で1月28日、だるま市が開かれた。このだるま市は毎年1月28日に開かれており、ことしは開催日が土曜日になり、好天に恵まれたこともあって、不動院周辺は昨年より1万人ほど多い約7万人(主催者発表)が訪れ、にぎわいをみせた。周辺の参道にはだるまに加え、植木や食べ物など約500店の露店が立ち並び、午前中から不況退散や受験の合格祈願などで訪れた家族連れなどでラッシュアワー並みの混雑となった。
だるまを売る店が並んだ境内では午前11時ごろにはだるまを求める人やお参りに訪れた人などでぎっしり。
だるま屋の売り子たちは「縁起物だよ」「安くしとくよ」などと景気の良いかけ声が盛んに上がり、だるまが売れると、火打ち石を切りながら「家内安全、商売繁盛、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨイ」というかけ声が上がっていた。だるまの値段は昨年並みで、5号2800円、6号3500円前後の大きさのものが売れていた。
また、本堂の前は参拝客や火伏せのお札を求める人の長い列ができていた。
ことしは、出店した露店から東日本大震災の義援金を集め、被災地へ送るという。
麻生不動院は「火伏せの不動」として信仰を集め、火災や盗難にご利益があるという。また、だるま市は、旧暦で関東地方で最後に開かれることから「関東納めのだるま市」と呼ばれて親しまれている。
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2012年1 月 6日 (金曜日)
川崎市麻生区役所で1月7日に七草粥 : 麻生区文化協会が区民にふるまう
伝統的なお正月行事を味わってとことしも1月7日に川崎市麻生区の麻生区役所で「あさお古風七草粥の会」が催され、麻生区で採れた米や野菜で作った七草がゆがふるまわれる。
麻生区文化協会と麻生区役所の共催で「ふるさとあさお再発見事業」として開いているもので、ことしで9回目。
会場の区役所前広場では同協会の会員らが七草がゆ800食分を用意、11時から来場者に提供、なくなり次第終了する。会場では、書道のパフォーマンス「席書」、片平お囃子連によるおはやし、腹話術、麻生童謡を歌う 会の正月の歌や遊びもある。
この日提供される七草がゆの材料はいずれも地元産で、もちを焼くのに区内の早野聖地公園のボランティアが焼いた炭を使うなど、まさにふるさとの味だ。
七草がゆは無料でふるまうが、区役所の植え込みの一画に設けている「七草畑」の維持のための募金を呼びかけている。
問い合わせは電話044-965-5113区役所地域振興課。
また、13時からは市民館大ホールでは、第3回新春コンサートも催される。このコンサートは、区役所ロビーで夕方に開催している「トワイライトミュージック」の出演メンバーが、ピアノ、声楽、バイオリンなどを約2時間演奏する。入場無料、会場は12時30分から。
問い合わせは電話044-965-5370区役所地域振興課。
2012-01-06 in 02) イベント・催事, 05)歴史, 07)文化・芸術, 09)市民活動, b) 川崎市のニュース, b1) 川崎市麻生区, 音楽, 食 | Permalink | コメント (0)
2011年11 月18日 (金曜日)
狛江市の泉龍寺に仏教文庫が11月20日にオープン:仏教関係などの書籍30000冊や貴重な文化財を展示
狛江市元和泉1-6-1の泉龍寺(菅原昭英住職)に、貴重な仏教関係の書籍や資料、同寺が所蔵する文化財などを展示する「仏教文庫」が11月20日にオープンする。また、この日は寺で住職の交代に伴う晋山式や稚児行列などが8時から昼過ぎまで催される。
この仏教文庫は、同寺の中興開山の鉄叟瑞牛大和尚の没後400年と、住職が菅原昭英さんから長男の淳一さんに替わるのに合わせて境内に建設を進めてきたもの。
文庫は鉄筋コンクリート造り2階建て、のべ床面積470㎡で、内部は1階に図書室(写真左)、閉架書庫、展示コーナー、畳コーナー、エントランス(写真右下)、受付、事務室、2階に展示室、資料室2室、講義室、研究室、館長室などがある。館内は落ち着いた雰囲気で、静かに読書ができるほか、畳コーナーには子どものために児童書を置く。また、エントランスや展示コーナーには敷地内から発掘された縄文土器、聖観世音菩薩像、周り地蔵の講中が水引幕を寄進した時の寄付人の連名額が展示されている。このほかにも展示室や展示コーナーに、江戸時代の著名な文化人として知られる石川丈山が石谷氏のために贈った扁額、徳川家光、家茂の朱印状、狛江一帯を治め、江戸町奉行も務めた石谷貞清の肖像画、鉄叟瑞牛和尚が使ったといわれる中国から輸入された大型の珍しい袈裟(けさ)、洛中洛外図の屏風など寺が所蔵している貴重な文化財を展示する。屋根に太陽光発電の設備を置き、館の前に同寺の本堂で使われた瓦を使った庭を造るなど、狛江の新しい文化施設として多くの人に親しまれそうだ。
蔵書は約30000冊の予定で、(1)寺や狛江、調布などの郷土誌(2)仏教図書(3)文庫・新書本(4)文学(5)辞書・辞典・系図などの参考図書(6)女性と仏教、ジェンダー関係の書籍(7)地誌・文化誌・寺院誌(8)展覧会などの図録・大型本(9)妖怪・夢・老・死などがテーマの書籍、の9つのコーナーに分けて開架式の閲覧室に置くほか、閉架書庫には大蔵経などの大型の叢書や全集などを収める。書籍は現在整理が進められており、来年春に一般に公開する予定。それまでは申し込みを受けて利用できるようにするという。
菅原昭英住職は、約40年にわたって歴史の研究を続け、東京大学史料編纂所や駒沢女子大学の教授、駒沢女子大の図書館長などを勤めた。また、妻の征子さんも女性史研究者で、東京女子大学などの講師を務めた。
こうした研究活動の間に集めた数多くの貴重な書籍や資料を収めた文庫を建設し、多くの人に役立ててもらうのがふたりの長年の夢だった。1994年から建設が計画され、2000年には世話人総会で「(仮称)泉龍寺仏教図書館」として承認を得たが、山門や本堂の改修工事などの必要が生じたため、計画が大幅に伸び、ようやくオープンにこぎ着けた。
館長として運営にあたる菅原さんは「ようやく夢が実現でき、うれしい。若い頃、本を入手するのに苦労したので、多くの人に役立ててもらいたい。また、文庫を多くの人に利用してもらうことで、とかく縁が薄い宗教や寺を身近に感じてもらうきっかけになれば」と話している。
開館は土曜日〜火曜日で時間は午前10時〜午後4時。
交通は小田急線狛江駅北口下車、徒歩2分。問い合わせは電話03-3489-3251。
また、泉龍寺では20日に、中興開山鉄叟瑞牛大和尚400年遠忌報恩会、住職の交代を行う「晋山式」などを催す。
8時から同寺別院から狛江駅北口を経て山門まで稚児行列を行うのを皮切りに、昼過ぎまでさまざまな法要や式典などが檀家などが参列して行われる。
問い合わせは☎03-3489-6778泉龍寺。
延長後半のシュート数は、 ヴィッセル1に対し東京は8と圧倒し、執念で引き寄せた勝利となった。
2011-11-18 in 02) イベント・催事, 04)教育・子ども , 05)歴史, 07)文化・芸術, 11)まちづくり, a) 狛江市のニュース, 宗教, 書籍 | Permalink | コメント (0)
2011年9 月28日 (水曜日)
焼損した重文・旧太田家住宅の復旧工事の映像記録を公開 : 川崎市の第4庁舎で9月30日に上映と座談会
火災で焼けた川崎市立日本民家園にある国指定重要文化財・旧太田家住宅の復旧修復元工事を記録した映像がこのほど完成し、9月30日に川崎区の川崎市役所第4庁舎(旧いさご会館)で上映会と座談会が開かれる。
上映会は、「旧太田家住宅焼損復元技術保存伝承映像制作委員会」が主催、民族文化映像研究所と「映像のまち・かわさき」フォーラムが共催し、芸術文化振興基金の助成を受けて催される。
焼損した重要文化財の復旧映像記録の事例は少なく、主催者によると、貴重な映像を公開し、専門家がその意義について話すことで文化財の保存について再認識することを目的に催される。
座談会「復旧工事の取組みの意義、文化財保存技術の今後及び映像による保存の重要性について」に出席するのは、民族映像研究所所長の姫田忠義さん、横浜国立大学准教授で工学博士の大野敏さん、火災当時に同園に勤めていた文化財建築技師の野呂瀬正男さん。
旧太田家住宅は17世紀後半に茨城県笠間市に建てられた古民家で、同園に移築保存された。1990年に生田緑地内で打ち上げられた花火が屋根に落ち、主屋を中心に焼損、その後、焼け残った部材などを使って復旧工事が行われ、1992年10月に工事が終了した。
参加は無料で、先着80人。参加の申し込みは電話またはFAXで参加者の氏名、電話番号を電話044(200)2433またはFAX044(200)3248 で市民・こども局市民文化室へ連絡する。
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2011年9 月17日 (土曜日)
川崎産業観光ツアーの参加者募集:日本民家園、サントリー武蔵野工場、宮前区民祭などをバスで巡る
川崎市立日本民家園や川崎市中央卸売市場北部市場などで催される複数のイベントと、府中市にあるビール工場などをバスで移動して見学する川崎産業観光モニターツアーが10月16日に催される。現在、参加者を募集中。
ツアーは、工業都市として発展してきた川崎市の産業遺跡とその魅力を市民に知ってもらおうと、川崎市と川崎市観光協会が企画協力し、旅行代理店が定期的に催しているもの。
2011年度第6弾の今回は、川崎北部の観光拠点のほか、初めて市外の産業施設にもスポットを当て、味覚と文化の秋を楽しむ内容になっている。
コースは川崎駅に10時集合・出発または武蔵小杉駅10時30分集合・出発で、川崎市中央卸売市場北部市場で催されている宮前区民祭・北部市場まつりを見学して買い物と昼食、その後、柿生駅前で種飛ばしなどを行う禅寺丸柿祭りに立ち寄り、府中市にあるサントリー武蔵野ビール工場の見学とビールやソフトドリンクを試飲し、川崎市に戻って生田緑地で「夜の日本民家園」で夜なべ仕事などを見る。帰りは、登戸駅19時30分、武蔵小杉駅20時、川崎駅20時30分に解散の予定。
移動は添乗員付きの大型バスで、車内で川崎産業観光のガイドがある。参加対象は小学生以上の人(小学生は保護者同伴)で、定員は45人(最小催行人数40人)。参加費はおとな4,500円、小学生4,200円。申し込みは、16日から旅行会社に電話で、先着順で定員になり次第締め切り。
問い合わせは電話045(450)5588京浜急行(株)川崎産業観光ツアー係。
2011-09-17 in 02) イベント・催事, 05)歴史, 08)経済・農業, b) 川崎市のニュース, b1) 川崎市麻生区, b2) 川崎市多摩区, b4) 川崎市宮前区, h)東京都, 旅行 | Permalink | コメント (0)
2011年8 月22日 (月曜日)
狛江の多摩川で灯ろう流し : 川面を彩る鎮魂の灯600基
多摩川の多摩水道橋下流の狛江市側河川敷で8月20日、「狛江多摩川灯ろう流し」(多摩川灯ろう流し実行委員会主催、狛江市観光協会後援)が催され、訪れた数百人の見物客たちは暗い川面を彩る約600基の光を静かに見つめて、先祖や東日本大震災でなくなった人をしのびながら、昔ながらの夏の風物詩を楽しんでいた。
写真は夜の多摩川を彩る灯ろう
今回は、地域の物故者に加え、東日本大震災で亡くなった人のめい福を祈ることことも盛り込まれて催された。当初は19日に開く予定だったが雨のため準備が出来ず、1日延期された。
会場の河川敷には午後5時過ぎから次々と市民が訪れ、灯ろうの申し込みを受け付けるテントでは故人の供養を申し込む人もいた。
日が落ちて暗くなり始めた午後6時30分過ぎ、市内の6寺院の僧りょによる読経が流れるのを合図に、川にこぎ出した屋形舟では、舟いっぱいに積み込みこんだ灯ろうのろうそくに次々と点火、小田急線鉄橋下あたりから川面に浮かべられた。灯ろうが静かに水面を照らしながら光の帯をつくると、川岸をうめた見物客たちは、光の模様の変化をうっとりと眺めていた。法要会場のテントでは、焼香を待つ人が大勢並び、亡き人の面影をしのび、めい福を祈っていた。
途中、雨が心配されたが、降り出したのは灯ろうが流し終わったころで、主催者をほっとさせた。
狛江市仏教会によると、同市では文政8(1825)年に元和泉の当時の泉龍寺住職が名主の協力で亡くなった人の功徳をしのぶ「川施餓鬼(かわせがき)法要」を復活させたという記録が残っている。灯ろう流しは昭和初めから催され、その後何度かの中断したが、花火大会と同時に催されていた。花火大会が中止となった2004年からは、同市内の6寺と市民ボランティアなどで実行委員会を結成、世界平和と環境保全を願って毎年催している。
2011-08-22 in 02) イベント・催事, 05)歴史, 09)市民活動, a) 狛江市のニュース | Permalink | コメント (0)
2011年7 月13日 (水曜日)
「終戦前後の狛江の工業」テーマに7月15日から狛江駅前のギャラリーで展示と講演:写真などでハイテク拠点の歩み紹介、西條八十作詞の工場歌も初公開
第二次大戦の戦中から戦後にかけてハイテク技術の拠点となった狛江の姿を2つの会社の写真や当時の関係者の講演を通して紹介する企画展「終戦前後の狛江の工業」(泉の森友の会・特定非営利活動法人k-press共催)が、7月15日から20日まで小田急線狛江駅北口近くの泉の森会館で開催される。会場では、当時の工場の姿を撮影した多数の貴重な写真や資料に加え、これまで眠っていた作詞家の西條八十がつくった工場歌と音頭をデジタル化して初公開する。また、16日には当時の社員による座談会が催され、工場内の様子やエピソードを通して戦時下や終戦直後の苦闘、復興に向けた歩みなどを証言する。いずれも入場は無料。
写真(展示写真の一部)=1940年代前半、東京航空計器狛江工場内にあった計器操作を学ぶための複葉機に乗る青年学校の生徒(写真提供、東京航空計器OB笹井博さん)
この催しは、狛江の街の発展に企業が果たした役割と歴史を市民の手で掘り起こし、次の世代に記憶を語りつごうと企画したもの。
狛江は、豊富な地下水と交通便の良さから昭和10年代半ばから精密機器など当時の最先端技術を持つ工場が次々と建設された。
展示では戦中から戦後にかけて狛江に会社があった東京航空計器株式会社(本社=町田市小山ヶ丘、資本金1億円)と株式会社日立国際電気(本社=千代田区外神田、資本金100億5800万円)を取り上げる。
東京航空計器は当時、川崎市中原区木月に本社があり、1939年に現在の和泉本町1丁目の土地約46,000平方メートルに寄宿舎付きの工場と学校を建設。航空機用の計器などの精密機械を開発、製造した。戦後は、川崎の本社が米軍に接収され、一時操業を休止したが、1946年に本社を狛江に移して業務を再開した。しかし、占領軍による指令で航空機用の計器などの製造が制限されたため、それまでの精密機械製造の技術を生かし、映写機、顕微鏡、カメラ用雲台などの製造に取り組んだほか、現在のファックスの前身にあたる模写電送装置を開発したり、爪切りも製造したという。1952年に、航空機用の機器製造の制限が緩和されると米軍や民間機の計器や訓練用の機械の修理や開発、製造といった本来の分野に復帰した。1983年には敷地の一部を売却、本社工場棟を建設して操業してきたが、2010年秋に町田市へ移転した。
日立国際電気は、当時の社名を国際電気株式会社といい、1941年に和泉本町4丁目の119,000平方メートルの土地に市内最大の工場を建設、主に通信機器の製造にあたったが、当時その技術は日本でトップクラスと言われた。戦後は、主力の通信機の製造・販売が困難だったため、さまざまな民生用製品の開発にあたり、養蚕で使う蚕のさなぎを殺す機械や木材乾燥機、業務用の電子レンジなども開発、製造した。その後、需要の高まりに合わせて通信機器の開発生産が本格化、南極観測船宗谷の通信機や現在の携帯電話の基礎となった自動車電話の開発なども行った。1966年に羽村市へ移転、跡地は都営狛江アパートになった。2000年に合併により現在の日立国際電気になった。
両社は戦中から戦後にかけていずれも途中で名前を変えた時期もあるが、狛江の発展に大きな足跡を残している。地域の人々に働く場を提供しただけでなく、商業や運送業など新たな仕事を生み出し地域経済を発展させた。また、設立当初には社内に高等小学校を卒業した少年を数年がかりで中堅技術者に育てる「青年学校」を設けたり、戦争中は軍需工場に指定され、近くの学校だけでなく全国から多くの学徒動員の若者が来て働いた。戦後も会社内に技術学校を設け、物づくりに貢献する若者を育てた。
会場では、両社が手がけた機器や青年学校の学生の寮生活、軍事教練、地域の人も参加した社内レクリエーションなど約2百数十点の写真をはじめ、青年学校の生徒を募集する戦前の求人票や参考書、学徒出陣の辞令、国際通信が開発した通信機を載せた南極観測船宗谷が持ち帰った南極の石など貴重な資料も展示する。
また、東京航空計器が1944年に戦意高揚と生産性を高めるため、昭和を代表する作詞家・西條八十と作曲家・久保田公平に依頼して制作したSP盤レコード「東京航空計器 狛江工場歌」と「必勝轉輪音頭(狛江工場音頭)」を会場内で流すほか、小田急線が高架複々線になる前に写した狛江駅から東京航空計器計器正門までの町の様子を紹介するビデオも公開される。
17日15時からは、同館3階のホールで、両社で働いていた笹井博さん、藤岡昇さん、江口茂男さん、藤井拓三さんを招き、会社の様子や街の人との関わりなどを語る。
展示時間は午前10時から17時。 入場は無料。
問い合わせは電話03-5497-5444泉の森会館。
写真((展示写真の一部、上から)=狛江市内にあった1960年代ごろの東京航空計器の全景(写真提供 : 東京航空計器)、1950年代前後の国際電気の全景(写真提供、日立国際電気)、1942年に国際電気工場内で行われた青年学校生徒の軍事教練(写真提供 : 国際電気OB飯野芳男さん)
2011-07-13 in 02) イベント・催事, 05)歴史, 08)経済・農業, 09)市民活動, a) 狛江市のニュース | Permalink | コメント (0)
2011年7 月12日 (火曜日)
川崎市宮前区で平瀬川七夕サミット:コイからアユへ主役交代、きれいな川復活着実に
「ふるさとを流れる平瀬川と流域の環境を守り育て、子どもたちに伝えよう」と7月3日、川崎市宮前区の菅生小学校で「平瀬川七夕サミット」が催された。
写真=平瀬川の調査結果を発表する児童たち
このサミットは平瀬川流域まちづくり協議会、向丘地区商店会連合会が催しているもので、今回で16回を数える。川崎市、特定非営利活動法人多摩川エコミュージアム、宮前区まちづくり協議会が後援、地域の自治会やライオンズクラブ、ロータリークラブ、飛森谷戸の自然を守る会、花で町を飾る会、水沢森人の会、ガーデニングクラブこすもす、東高根森林フォーラム、グリーンフォーラム21みやまえなどの市民団体が協賛、協力している。
この日は、午前中に平瀬川の6カ所で清掃と草刈り、調査を行い、自転車20台など1トントラック3台分ほどのごみを回収した。
午後からは菅生小体育館に約300人が参加、サミットを開催した。
菅生中学校吹奏楽部によるオープニング演奏に続いて、平瀬川の各地区からプロジェクターを使って写真を写しながら活動報告が行われた。なかでも、アユが増えているという報告が相次いで寄せられ、これまで地域ぐるみで行ってきた清掃活動や環境の整備によって川の主役がコイからアユに替わったことを印象づけた。ただ、川に捨てられる自転車が多く対策が必要などの声も聞かれた。
地元の菅生小、稗原小、向丘小の児童が川について調べた結果を報告、大きな紙に文章や絵、図表で描いたり、寸劇で紹介するなど力のこもった発表に会場からは拍手が送られていた。
区制30周年を記念して製作中のふるさとカルタの報告も行われ、参加者の関心を呼んでいた。
また、菅生小の児童の楽器演奏、林敏さんによる楊琴(やんちん)の演奏、合唱団コールエスペランサの合唱なども行われた。
会場には、中学校区ふる里カルタ、平瀬川のミスと緑、歴史探索ウォークマップ、野鳥の写真などのパネルも並べられ、訪れた人たちは興味深そうに見入っていた。
阿部孝夫市長も参加、「市長になる前からサミットには参加している。これからも一緒に、平瀬川がふるさとの川として誇りが持てるようにしていきたい」などと挨拶した。
2011-07-12 in 01) 自然・環境, 04)教育・子ども , 05)歴史, 09)市民活動, 11)まちづくり, b) 川崎市のニュース, b4) 川崎市宮前区 | Permalink | コメント (0)