2009-11-29

ナビスコ決勝戦の反省 : 森勇介選手の笑顔

Jリーグ33節ホーム最終戦の11月28日、川崎フロンターレの試合でさわやかな光景を見た。

ナビスコ決勝戦の表彰式で握手拒否など問題行動で謹慎中だった森勇介選手が、この試合で事件後初スタメンした。試合終了の笛でピッチ中央にあつまった後、 喜び合うチームメイトから一人離れ、笑顔で主審に歩み寄り握手を求めた。主審は何かひとこと応え、力強く彼の手を握り返すとさらに柔和な表情になった。
その顔は、ピッチで90分戦うことができたことに心から感謝しているようにも見受けられた。試合中、相手チームの選手に倒されるシーンもあったが穏やかに対応、最後まで冷静さを保ち、果敢なプレーで味方に再三得点チャンスを作っていた。
彼は元来、能力の高い選手だが人一倍強い闘争心が逆に作用し、異議を唱えるなどでカードをもらうことが多かったが、この試合を見る限りナビスコ決勝戦での行為を含めてこれまでのことを深く反省、フェアプレーに徹しようと努力しているように感じた。
チームは、2度目の昇格で確実に力をつけ、ここ3年「初タイトル」を目標に掲げてきた。しかし、「勝ち」にこだわるあまりに「勝てば何でもOK」となり、逆に作用して強いプレッシャーにもなっているように感じることがしばしばある。
ナビスコ決勝戦後、一時は反省したかに見えたがチームのなかには「のど元過ぎれば〜」の選手もまだ見受けられる。選手教育、社会貢献などに限定されたビスコの賞金の使い道は、まだ明らかになっていない。
リーグ戦はあと2試合。自力優勝はなくなったが、優勝の芽はまだ残っている。結果はさておき、さわやかなプレーでしめくくってもらうことを期待している。(ネコ)

Posted by k-press on 2009-11-29 at 11:44 午後 in ウェブログ, スポーツ, 川崎市 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2009-11-05

ナビスコカップ準優勝 : 2位の重みとスポーツマンシップ

3度目のチャレンジとなるナビスコカップ決勝戦で「一位以外のタイトルはいらない」と自らを鼓舞していた川崎フロンターレが、またも準優勝に終わり、涙をのんだ。

一度はともにJ1に昇格した対戦相手・FC東京は得点源の主力選手のけがなど不安材料を抱えていたのに対し、川崎フロンターレはリーグ1の得点力で好調をキープし万全の準備で試合に臨んだだけに、敗戦のショックが大きく表彰どころではなかったのかもしれない。ロイヤルボックス前の表彰台にもたれ込む、首にかけられた銀色のメダルをすぐ外す、握手に応じない、優勝チームの表彰を座り込んだままで見ないなど「態度が悪い」とJリーグチェアマンらからクレームをつけられた。
クラブは、翌日社長がJリーグお詫び行きコメントを発表。11月5日には社長が練習前の選手らに直接指導、キャプテンなどを伴いJリーグに再びお詫びに行き、賞金の全額返還、一部の選手の公式戦出場辞退などを申し入れする異例の事態となった。
2年前の準優勝の時も、悔しさのあまりメダルを外す選手がいたが、今回ほどではなく、唇をかみしめながらも再びこの舞台にのぼることを誓った。銀色のメダルは18チームのうちの2位で、決して恥ずかしいものではないはずだが、「初タイトル」にこだわるあまり「いらないもの」になってしまったのだろうか? 大会を準備した関係者や優勝チームに対して失礼というばかりではなく、この場に臨めなかったチームに対しても不遜な態度だったと言わざるを得ない。
初の決勝に臨んだ2000年、リーグ戦成績不振のため1年でJ2降格が決まるなかでの準優勝は、クラブにとっては唯一といってもいいほどの明るい話題だった。選手らは堂々と表彰台に昇り、祝勝会の準備をしていたホーム等々力競技場で寒空のなか、選手は笑顔でサポーターとともに記念写真を撮影、2位の重みと喜びをかみしめていたと記憶している。
プロスポーツの世界では勝利にこだわるのが当たり前だが、もう一度原点に戻ってスポーツマンシップを心に刻みつけ、残りのリーグ戦、天皇杯を堂々と戦ってもらいたい。(ネコ)

Posted by k-press on 2009-11-05 at 11:22 午後 in ウェブログ, スポーツ, 川崎市 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2008-12-16

フロンターレ退団選手の送別会

川崎フロンターレを退団する選手の送別会に出かけ、サポーターらの手作りイベントの温かな雰囲気に、別れのつらさが薄らいだ。

最終節の行われる前々日、フロンターレ後援会の事務所に立ち寄り、10年在籍した我那覇の退団についての問い合わせや意見が多く寄せられているとの話を聞いた。クラブ史上、代表初選出で完全移籍した箕輪についても話を聞きたいというファンも多いことだろうと感じた。最終節がホームで引退ならば別れを告げる機会も作れるのかもしれないが、移籍となるとクラブ主催というわけにはいかない。
送別会を開いた主催団体は、そうしたサポーターの願いを受け入れる役目を果たした。代表に話を聞くと、クラブと連絡を取り打ち合わせをしたのは1週間前だったという。クラブの協力があったとはいえ、少年時代に所属したチームに母校の校歌を歌ってもらう、選手を見いだし入団させた元スカウトに花束を渡してもらうなど心憎いほどの演出に、短期間でよくやったと改めて感動した。
選手のあいさつを聞いていると、わずか1点差で2度目の昇格できなかった年にうつろな目でピッチに正座していたミノ、年頭のあいさつ回りで同級生に会い突然高校生の顔に戻ったタツヤなどさまざまな表情が浮かび、もらい泣きしそうになった。チーム設立前から取材を続けているため、ふとフロンターレの前身の社員選手中心だった1996年のシーズン終了前の練習試合と最初に昇格を果たした1999年の天皇杯を思い出した。対戦相手はいずれもヴェルディ川崎(当時)で、フロンターレ(富士通)側はシーズン終了後に退団する選手が多くいた。
フロンターレはクラブの歴史を塗り替えた戦士を大量放出し、サポーターや報道関係者からそっぽを向かれた苦い経験がある。その後、フロントは同じ轍を二度と踏まないようサポーターの心を大切にしており、それがこの送別会を実現させたのだろう。一方、かつて「川崎」とついていたヴェルディのイバラの道は、まだまだ続きそうだ。(ネコ)

Posted by k-press on 2008-12-16 at 10:13 午前 in ウェブログ, スポーツ | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2007-12-31

写真の洪水におぼれる

大みそかだというのに、写真の洪水と格闘中。新コンテンツ「かわさき花ごよみ」の立ち上げのため、写真をセレクトしているのだが、あまりに多過ぎて、出口が見えない状態が続く。
銀塩からデジタルへの移行は、時代の流れとはいえ、写真とのつきあい方を変えてしまったようだ。

Jリーグやイベントなどの場合、1回の取材で1,000枚以上撮ることも少なくない。スポーツ取材でカメラマンが複数の時は、1試合で数千枚、容量にして20GB近い写真データが一度に持ち込まれるから、1TBのハードディスクが半年持たない有様だ。
後になって必要な写真を探すのに1日がかりというケースが増えたため、写真整理用のソフトを入れて対応することにした。
現在、写真の整理のために使っているソフト「Adobe Photoshop Litghtroom」に読み込んだ写真は14万枚近く。だが、まだ読み込んでいないものが、この倍以上はありそうだ。
Lightroomの前は、AppleのApertureを使っていた。使い勝手がよくて気に入っていたが、10万枚を超えたあたりから動作が遅くなり、MacProでも厳しくなってきたので、ソフトを変更した。いまのところ、ソフトの動作は大丈夫なようだが、今度は人間の方がきつくなってきた。同じような数十枚の写真の中から最良の1枚を選び出すという作業を長時間続けていると、感覚がマヒしてきて、正直「どれでもいいや」という気分に陥る。写真のセレクトは、ソフト任せにできないから、この難行は当分続きそうだ。
それにしても、除夜の鐘までに作業が終わればいいが。

Posted by k-press on 2007-12-31 at 01:42 午前 in ウェブ・技術, スポーツ, 科学 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2007-07-24

アメフトW杯:観客はノーサイドでプレーを楽しむ

川崎市で行われたアメリカンフットボールワールドカップ大会(アメフト特集ページはこちら>)を取材した。1999年にイタリアで始まったアメフトw杯大会は、今回3回目を迎え3連覇を狙う開催国・日本のほか、11カ国の参加で行われた予選を勝ち抜いたアメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン、韓国が出場、7月7日から15日まで川崎球場と等々力競技場で試合が開かれた。

アメフトはあまりメジャーなスポーツとはいえないことに加え、6日間の試合開催日が曇りと雨、順位決定戦は大型台風に見舞われたこともあって、観客の総数は33,312人と期待された人数より少なく、スタンドは空席が目立つ日が多かった。
大会の運営は、1年半の準備期間があったにもかかわらず、大きなスポーツ大会に手慣れているとはいかなくて日本戦が行われた開会式には記者証の発行に手間取り、事前に申請してもあったのに名前が載っていないなどの混乱もあった。また川崎球場の記者会見場が狭く、パソコン持参の記者と大型機材を持ったカメラマンが雨の中ウロウロ場所探しするありさま。大会4日目に観客休憩用のテントを1カ所記者用に替え、取材側の混乱はおさまったが、雨の中で休む場所が減り不自由な思いをした観客もいたかもしれない。
ただ、観戦のマナーはさわやかで、応援はかなり熱がこもっていた。韓国戦ではそろいのTシャツでおなじみの鳴り物入りで「テーハミング」の大合唱、アメリカは星条旗、スウェーデンは小旗のほか自国選手のビックプレーには大きな旗や拍手がひろがり、ドイツは雨の中でVIP席から大きな旗がとかけ声が聞こえてきた。
圧巻は3連覇のかかった日本とアメフト本場のアメリカとの点の奪い合いとなった決勝戦。客席の大半は日本人でアメリカ選手には少し気の毒だったが、日本選手の好プレーのたびに日本代表を擁する社会人リーグのチームメイトなどがあげる拍手とかけ声が競技場全体に広がり、馴染みの薄いスポーツとは言えない一体感があった。また、相手の好プレーにも驚きの声と賞賛の拍手が聞こえ、まさにスポーツの観戦を楽しんでいる雰囲気。特に試合終了の時はその音が一段と大きくなったのが印象的で、ラグビーの「ノーサイド」という言葉を実感した。(ネコ)

Posted by k-press on 2007-07-24 at 05:08 午前 in ウェブログ, スポーツ | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2007-06-19

いまも愛されるノブリン:川崎フロンターレ元監督

川崎フロンターレと柏レイソル戦の試合後、等々力競技場の駐車場付近でほほえましい光景を見かけた。

記者会見を終えカメラ機材を手に同僚の待つ場所まで歩いていると、フロンターレのレプリカユニフォームを着たサポーター10人ほどが誰かを囲んで話をしていた。なかにはサインをねだったり携帯電話や小型デジカメで写真撮影している人もいる。試合終了からすでに小1時間ほど経ち、選手を乗せたバスはすでに発車した後のことだ。競技場の出待ち組みも少なくなり、何事かと思わず足を止めて囲まれている人の顔を見た。数メートル先には見覚えのある顔が飛び込んできたが、その人が柏の石崎監督とわかるまで一瞬の間がかかった。
ラフな格好で真っ黒に日焼けしたその人は、せがまれたサインや2ショットににこやかに応じ、楽しげに話をしている。少し前まで熱戦を繰り広げいた対戦相手の監督とはとても思えず、あたかもフロンターレの麻生練習場のファン感謝デーのような雰囲気で、心の中で思わず「あ、ノブリン(フロンターレの監督時代に呼ばれていた愛称)だ」と叫んでしまった。
かつてのサポーターとつかの間の歓談を終えて丁寧にあいさつし、駐車場に入ってからもさわやかな笑顔で手を振る石崎監督を見ていたら「きょうは引き分けでよかった」と4試合勝ち星がとれずモヤモヤした気持ちが吹き飛んでしまった。(ネコ)

Posted by k-press on 2007-06-19 at 06:49 午前 in ウェブログ, スポーツ | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2007-05-16

フロンターレの日本代表候補

川崎市フロンターレの選手4人が、5月14日から16日まで行われている日本代表候補のトレーニングキャンプに呼ばれた。Jリーグのクラブでは日本代表を多く輩出する浦和レッズ、ガンバ大阪を抜いて一番多い人数だ。

リーグ戦3分の1を消化した11節時点で2位、アジアのクラブチーム1位を決めるACLチャンピオンリーグ予選で早々と8位以内に入り決勝リーグ進出を決めた現在の成績からすれば当然のことだ。
ただ1997年のチーム結成当時から取材を続ける筆者にとっては、何か信じられなく面はゆい気持ちが否めない。フロンターレは、2003年に勝点1で昇格を逃がしたことが記憶に新しいが、よく言えばシャイ、ここ一番に弱いというイメージがつきまとう。1年でJ1参入を目ざしたチーム結成1年目、上位の成績だったものの9月に札幌、東京ガス(現・FC東京前身)、本田技研に3連敗。本田技研の試合後に監督が更迭され記者会見に現れなかったことが忘れられない。結局その年は勝点1の差で昇格を逃し、翌年は1試合しか行われないJ1参入戦に延長Vゴールの逆転負けなどの印象が強いためだろう。
関塚現監督が就任した2004年、チームは「マインド1」をキャッチフレーズに掲げ、勝ち星だけでなく、精神的な弱さをどう克服するのかが託された。監督は選手たちに「勝ち」にこだわる意識をみごとに植え付けるとともに、選手はチーム内のポジション争いでたくましさを身につけた。ことしは特に、レギュラー選手の穴埋めに起用された新しい選手が結果を残し、関塚監督の采配が高く評価されている。
Jリーグでは、同じ監督の長期政権は少ない。願わくば、たとえフロンターレの監督が替わっても、チームと選手が精神的な強さをしっかりと受け継ぎ、代表選手を数多く輩出することを期待してやまない。(ネコ)

Posted by k-press on 2007-05-16 at 11:25 午後 in ウェブログ, スポーツ | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2006-04-04

早過ぎる処分

川崎フロンターレの茂原問題の処分が早いのに驚いた。
処分結果の契約解除を発表するクラブのニュースリリースが届いた直後、クラブのHPには試合の出場記録など一部を除いて茂原のデータがすっかりなくなっていた。とてもすばやく「さすが親会社はITメーカーだけある」と妙な関心をしてしまった。

事件が明らかになった時、クラブは「本人が認めていないので、それを信じる」と発表していたが、一方では「(事件が起こした時は)正式契約前の出来事で、うちの所属選手ではなかった」ことを強調、所属クラブ柏から「詫び」が入ったこともあり時間が経つにつれそのトーンが高くなっていった。そうしたことから、保釈後のクラブの対応はある程度予測はついた。
とはいえ、開幕戦から交代要員としてベンチ入りをして起用されていたので、あまりに早い対応に釈然としないものを感じた。
逮捕が明らかになった時には、選手を集めて緊急ミーテングを開き他の選手らに動揺を与えないような対応をしていたが、処分については「事後通知」だけで、現場の声はまったく聞かれなかったことが一部のスポーツ紙に報道された。
保釈は、本人が住居侵入については認めたためで、起訴されるか否かはこれからだ。事件そのものがよくわからないところが多い。現場は、短い期間とはいえ同じ目標に向かってトレーニングを積んできた「仲間」と思っていただけに、本人からの釈明を求める気持ちが強かったと思う。
罪は本人が償うとして、24歳の若者に更正する場所と機会をフロンターレが与えなかったことは非常に残念だ。プロスポーツは結果がすべて、というだけではあまりにも寂しい。
柏での処分はこれからだが、2002年までフロンターレの監督だった石崎監督の下で罪を償い、ピッチに再び戻ってくる日が来ることを祈るばかりだ。(ネコ)

Posted by k-press on 2006-04-04 at 09:19 午前 in スポーツ, 時事問題 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2006-03-15

写真展を終えて

「輝け! フロンターレ展」が終わり、初ゴールクイズの投票者の入力作業もようやく完了した。

川崎市内6会場での展示とトークショー開催は、イベント慣れしていないため想像以上に大変で、会場の下見、レイアウト作り、搬入、搬出作業に追われ、春の嵐のような1カ月間だった。その間に溜まっていた仕事を片付けるのにいまだに追われている。
毎日、各会場にスタッフが張り付いていたわけではないので、何人の人が来場してのか具体的な数字はつかんでいない。それでも、うれしいことがいくつかあった。
麻生区役所の搬入の日、まだ展示準備中に男子小学生とその母親らしき人が初ゴール予想の投票用紙を持って来場した。パネルに写真を張る作業を中断して投票箱を準備する間に張り終えた写真を見てもらった。地域の少年サッカーチームに所属しているというその少年は、1枚1枚丹念に見てある写真前で「この写真は、学校で見た」と母親に話した。写真展開催のもとになった「フロンターレnow」に使われた作品で、彼の記憶に残っていたことがとてもうれしかった。
もうひとつは、ゴール予想クイズの当選者となった遠方からのゴール予想の投票。
ひとりはネット上からだったが、もうひとりはk-pressニュースを見て写真展会場まで来て投票していた。ただ、その会場は展示数が少ない場所で、もう少し上手な案内をしていれば、別の展示会場まで足を運んで写真を見てもらうことができたと反省。今回の展示を手伝ってくれた人の話によると全会場を回った人もいるという。
展覧会を通し「サポーター」の気持ちの一端を改めて実感できるできごとだった。

Posted by k-press on 2006-03-15 at 03:12 午前 in ウェブ・技術, スポーツ | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2006-03-08

応援のTPO

Jリーグが開幕した。わが街のチーム「川崎フロンターレ」は、ことしホーム等々力で開幕戦を迎え、快勝した。喜ばしいことである。

スタジアムには、開幕を待ちわびた17,000人以上が来場。フロンターレ側はまだ空席が目に付いたが、アウエイの新潟側は濃いオレンジ色のチームユニフォームを着ている人で満席。事前の情報では、アウエイ側チケットは完売と聞いた。
ピッチに立っていて気になることがあった。
試合前に両チームの応援が始まり、新潟側からは余り大きな音量ではなかったが「フロンターレ」の応援歌が聞こえてきた。昨年のホーム開幕戦で真っ赤に染まったレッズ側から昇格したフロンターレへのエールの歌が聞こえた時ほどの驚きはなかったが、さわやかさを感じた。しかし、フロンターレ側からは何の反応もなかった。
その後、選手がピッチに出てきて練習。ちょうどその時、開幕セレモニーのひとつ、阿部川崎市長の挨拶が行われた。間が悪いことに、両チームのサポーター席からは練習中の選手を応援する鳴り物入りの大きな声。写真撮影のため市長とは10mも離れていなかったが、マイクを通しての声が聞き取りにくかった。市長が「遠い新潟からお越しいただきありがとうございます」といった途端、新潟側のサポーター側の鳴り物と応援の声がやんだ。ホームのフロンターレ側は、選手へ声援のためやめられなかったのだろうが、相手側が静かになったので鳴り物と声が一層大きく感じた。オーロラビジョンには、挨拶する市長の姿も映っていたので、何が行われているのか見えたはずである。
フロンターレサポーターにもまわりの状況に合わせて応援する体制を早く身につけてもらいたい。(ネコ)

Posted by k-press on 2006-03-08 at 12:40 午前 in スポーツ | Permalink | コメント (0) | トラックバック