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2005-01-29

タイタン星人

土星の惑星タイタンの写真は、感動ものだ。

厚いメタンの雲に覆われてわからなかったタイタンの素顔が、地表に突入した小型探査機ホイヘンスから送られてきた写真から次々と明らかになっている。
地表には海や山があり、川が流れ、泉がわき、雲が流れ、霧さえ漂うという。写真だけなら、地球のどこか、と言われても信じてしまいそうだ。しかし、氷点下180度の極寒のなかで液化メタンの雨が降り、川が流れる光景を思うと、人類の感覚を超えた世界と言うしかない。
タイタンには生命は存在しないと科学者は考えているが、タイタンを「メタンの水の星」と考え、生命の存在を素人が勝手に想像するのは楽しい。
……タイタン星人は、地球から突然打ち込まれたホイヘンスを見ながら、こんなセリフをつぶやく。
「ここより200度も気温が高いところで生命が誕生していたなんて、とても信じられない」(M)

Posted by k-press on 2005-01-29 at 03:21 午前 in 科学 | Permalink | コメント (1) | トラックバック

2005-01-12

振りそで

成人の日の夕方、ターミナル駅のペデストリアンデッキで白いふわふわのショールに振り袖でバギーを押す女性を見かけた。

ちょうど成人式の帰り時間だったのか、まわりには振り袖姿の通行人も多かった。幼児連れのその女性は、途中で振り袖姿の2人組と立ち話をし、そのうちの一人が座り込み、幼児に話しかけた。ひとしきり話をしてから、足ばやにバギーをひき、立ち去った。
これまで何度も成人式の取材をしており、赤ちゃんを抱いた女性の出席も見かけたことはあるが、大抵は洋装か既婚女性の着る短めの和服姿だった。振り袖は、未婚女性の衣裳とも思い込んでいたので、ちょっと驚いた。一度限りの成人式には、ほかの女性達と同じ振り袖が着たかったのだろう。
それにしても成人式の式典会場では、幼児はどうしていたのだろうか、バギーを引くときは振り袖はじゃまにならないのかと妙なことが気になった。(ネコ)

Posted by k-press on 2005-01-12 at 04:51 午前 in 時事問題 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2005-01-11

スマトラ沖地震

スマトラ沖地震の死者の数がまだ増え続けている。15万人を超え、20万人という推計さえ聞かれる。

テレビを見ていたら、街をおそう津波の映像が流れていた。
それは、これまで抱いていた巨大な波というイメージとは全く違っていた。
あらゆる物を飲み込んで押し寄せるゴミの奔流という感じで、確かにあの流れに巻き込まれたら、いくら泳ぎがうまくても助かりっこないだろう。
今回の死者は、川崎市のひとつの区に匹敵する。その数字を思うと言葉にならない恐ろしさを感じる。
「これだけ科学技術が発達しているのに、なぜ」という疑問より、むしろ、科学技術の発達が招いた、あるいは、科学技術への過信が招いた災害という感が強くする。
どちらにしても、「地球にやさしく」などとえらそうに言えるほど、人間の力は強くないこと、自然の力がいかに大きなものかをはっきり教えたと言える。

Posted by k-press on 2005-01-11 at 11:32 午後 in 時事問題 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2005-01-08

暮らすことは生きること

暮らすことは生きることなんだ−『京都暮らしの日々』(麻生圭子著、文春文庫)を読んで、そんなことを感じた。

当たり前といえば当たり前、いまさらながらという気もするが、生きる、生き延びるために明日ばかり見て、きょうをおろそかにし過ぎていないだろうか。一期一会のきょうという日をきちんと味わわないで、あくせく明日のために働く。明日に不安を抱えているから、きょうを無駄にする。これでは、本末転倒ではないか。
東京から京都の町屋に移り住んで、その暮らしの中で感じたこと、考えたことをつづった文章の中から、しっかり地に足をつけた女性の生き様が伝わってきて、すがすがしい。
たとえ、町屋に住んでも、電子レンジやクーラーなどの家電製品を持ち込んだら、麻生さんのような感慨はつかめなかったに違いない。夏の暑さの中で汗をたらすからこそ、かすかな風を「極楽のあまり風」と感じ取れる。そうしたさまざまな季節の風と光を楽しめるようになるには、やはり「修行」がいるらしい。ただし、見落としてならないのは、そうして耐え忍ぶことを、彼女が楽しんでいることだ。読後にすがすがしいものが残るのは、そのあたりにありそうだ。

Posted by k-press on 2005-01-08 at 11:28 午後 in 書籍 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2005-01-06

名古屋の地下鉄路線図

所用で名古屋に行った。
新幹線の改札口からの表示に従い、地下鉄の駅に出る。駅には2本の地下鉄が入っていたが、知らない路線の駅に出てしまった。

切符売り場で目的地の切符は買えたが、地下鉄全体の路線図がない。ホームに入ればどこかに表示があるはずと捜すが、その路線の駅名とそれぞれの所要時間は書いてあるが、やはり全体の路線図見あたらない。元旦の夜でホームは閑散としており、人に聞くこともできない。ようやく見つけた駅員に駅名を告げ、乗換駅がわかった。念のため車内のドアの上にある表示を見たが、やはり路線図と乗り換え駅しか表示されていなかった。
帰宅後、この話を友人にしたら、首都圏や大阪圏のように全国各地から人が来ることを想定していないからではないかという。
後日、ネットで調べたら、東京、大阪に継ぎ1957年に営業を開始したことがわかった。ちなみに名古屋市地下鉄職員が制作するそのHPも交通局のHPも路線図がわかりにくかった。(ネコ)

Posted by k-press on 2005-01-06 at 11:07 午後 | Permalink | コメント (1) | トラックバック

2005-01-03

悩ましきバックアップ

前の年の残務整理をしながら、データのバックアップ作業。DVDーRに焼くのだが、半端なデータ量ではない。いささか気が重くなる。

バックアップが必要なのは当たり前なのだが、いまやテラという単位さえ現実のものになってきたハードディスクの進歩に比べて、バックアップに使うメディアの方は完全に遅れをとった感じだ。100ギガ、200ギガというデータをバックアップしようとすると、とてもCD-Rでは追いつかない。DVDを使うしかないが、それでも4.7ギガ(実質4ギガちょっと)しか保存できない。記録した後のデータの検証時間も計算すると、さて、何日かかるだろうか。
データが増えた原因は、デジカメのせいだ。一度の取材200〜300枚、多い時は1000枚撮影するから、データ量も1ギガ、多い時は3ギガ、4ギガ分のデータが増えていく。写真を整理するべきなのだが、これだけの枚数になると、その時間がなかなかとれない。さて、どうしたものやら。(TM)

Posted by k-press on 2005-01-03 at 11:34 午後 in 時事問題 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2005-01-02

携帯電話を新しくした。これまで使っていたPHSが古くなったせいか電池の持ちが悪くなったというのも理由のひとつだが、このままでは、時代に取り残されそうという気分になっていたせいもある。

というわけで、どこの会社を選ぼうかと迷ったあげく、というより、ホームページなどで説明を読んでも、結局よくわからないままに、ナビが使えるということでauを選んだ。
遠くへ行くわけでもない、むしろ事務所にいることの方が多いからナビなんて必要ないといえば必要ないのだが、イザというときの保険のような気持で、この機種に決めた。方向オンチではないと自分では思ってきたが、このところ道に迷うことがある。というより、以前なら一度行ったところはほとんど迷うことなく行けたのに、最近は目的地に着くまでおぼつかない気分がつきまとう。知らない道、なじみのない風景に不安を覚えるというのは、もう若くはないということなのだろうか。
ということで、電話とメールさえ使えればいいと考えていたのが、カメラにムービー、そのほかいろんなことができるらしい機能満載のケータイを手にすることになった。いざ使う段になってマニュアルを読むが、正直言って、パソコンよりよほど難しい。一筋縄ではいかないなあ、というのがケータイ初日の感想である。
パソコンの講習会というのはあるが、ケータイの講習会というのはあるのかしらん。(TM)

Posted by k-press on 2005-01-02 at 11:51 午後 in 時事問題 | Permalink | コメント (0) | トラックバック

2005-01-01

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

昨日の雪模様とは打って変わった穏やかな元日。除夜の鐘、初もうで、民家園の正月行事の取材に出かける。消え残った雪が日に照らされて溶けていく。この季節の日ざしは他の季節に比べて弱いとはいえ、やはり太陽の光の強さ、ありがたさを改めて味わう。
イラク戦争、台風、新潟中越地震、インド洋の大津波と大荒れだった2004年に比べ、ことしが穏やかで平和な年になればいいと祈る。とはいえ、前の年の大きな傷跡をいやすのに、太陽を頼るわけにはいかない。わたしたちひとりひとりの小さな力の積み重ねだろう。(M)

Posted by k-press on 2005-01-01 at 03:29 午後 in 時事問題 | Permalink | コメント (0) | トラックバック